他人の価値観を生きる必要はない

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知性と個性のファッション計画」を遂行するために、この週末は徹底的な断捨離に励んだ。服の数は記憶できる範囲内に留めなきゃと未練を断ち切り、45リットル袋4つ分もの服を資源ゴミ行きにしたのである。クリーニングタグが付いたブランド服は惜しいけれど、質の良い品は選別して海外に送られると聞き、サイズが合わないものは何処かで再利用されるよう望みを託した。

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被災地に送るという手段もあっただろう。しかし5年前にボランティアで石巻に行ったとき、衣類の入った段ボール箱が幾つも道路に放置されているのを見て、古着を送るのは失礼にあたると認識した。もしも私が被災者の立場だったら新品が欲しいし、どんな状況にあろうと人間の尊厳は対等だと思いたい。

大量のゴミ出しをしている姿を誰かに目撃されたら、勿体ないと非難されるかもしれないが、他人からどう見られるかは気にしないことにした。心理学者のアドラーが言う「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります」が胸に刺さるからだ。

人生は一度きり。他人の忠告に従って何もしなかったことを後悔するか、暴走して失敗したことを後悔するか、私は後者を選ぶ。過去には絶対戻れないのだから、たとえ明日死ぬとしても今がスタート地点だし、自分の行いに責任を取れるのは自分しかいないのだ。

今回の熊本地震ではネット上で、芸能人の言動に対する「不謹慎狩り」が横行した。被災地に多額の寄付をすれば「偽善と売名だ」、家が倒壊して現地情報を発信すれば「愚痴りたいのはお前だけじゃない」「可哀想な私アピールがイラつく」などの批判が寄せられ、炎上騒ぎになる。まるで戦時中のアカ狩りみたいだ。

しかしその一方では、被災者がTwitterで発信した「被災時に要らないもの・・・自粛ムード、不謹慎連呼、被害の悲惨さばかり流すテレビ」が倍速で広まった。こちらのほうが正論だと、今度は一斉にネット民叩きが始まる。みんなストレスが溜まっているのかな。

人間一人ひとり個性が違うのだから価値観が違って当たり前なのに、どうして偏らないといけないのか。右向け右! 左向け左! この指とまれ現象に振り回された集団は、やがてゾンビの魔法が解けて、自分の世界に帰っていくのは目に見えている。

「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない。そして他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない。他者の視線に怯えず、他者からの評価を気にせず、他者からの承認も求めない。ただ自分の信じる最良の道を選ぶ」
「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰なのか」

アドラーの言葉を念仏のように唱えながら、自分の頭のハエだけを追わなきゃ。戦うべきは他人ではなくて、成長の足りない私なのだ。まずは自分に信頼を寄せ、思い悩む前に行動した今日に花丸を付けることにしよう。

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