『近代医療の飛躍的発達で、かつては死に至った病気が治癒できるようになった。しかし、治ったとはいっても<元気>というわけではない。<元気>と<病気>の間にいる人たちも飛躍的に増えたのだ。その典型が脳出血や脳梗塞といった脳血管障害である。』
(三好春樹著『老人介護 常識の誤り』より引用・抜粋)
私の父は脳出血で半身不随の身となってから、介護付高齢者施設でお世話になっている。
不安や幻覚につきまとわれ、数分おきにナースコールを押しまくるだけでなく、いつ悪化するとも知れぬ肺疾患を抱えているので、自宅で看れるような状況ではないからだ。
いつものように愚痴を聞く面会コーナー。とろみつきコーヒーをスプーンで飲む父。
「ちょっと宜しいですか?」とフロアマネージャーから声がかかり、今年7月に目標を立てたケアプランがどのように進んでいるかの説明を受けた。
最初は一緒に耳を傾けていた父の様子が変わってくる。
「なに言ってるのかわかんないよ」「はやく横にしてよ」と落ち着かない。
フロアマネージャーがテーブルの上で父の手を握った。涙ぐんでいる。
「ごめんなさい。僕の配慮が足りませんでした。聞きたくないですよね、こういう話。」
父はますます落ち着かず、さっき行ったばかりのトイレにまた行きたいと言い出して、他のスタッフに声をかける。
そうなのだ。脳の機能は正常人と比べて2割程度しかなくても、心の機能は衰えていない。喜怒哀楽の「哀」の部分が、元気な頃の何十倍にも膨れ上がっているのだ。
「お前には済まないな」「俺がこんなになっちゃったのが悪いんだな」・・。
周りに迷惑をかけ通しなことに、頭が爆発しそうなほどの重責感を持ち続けているのだ。
車椅子からベッドに移して、テレビのスイッチを入れた。
大相撲の放映はないのだと言っても、自分でリモコンを持ってチャンネルを探す。
「何とかなるから大丈夫よ。心配しないで、自分のことだけ考えていてね。」
「お前も用事があるだろうから、暗くなる前に帰れよ。」
画面に「1」の数字が止まって、今日のニュースが流れる。
外は賑やかなクリスマスの夕暮れ。
階下へ降りるエレベーターを待つあいだ、スタッフたちが笑顔で見送ってくれた。
疲れきっている彼らの心身も<元気>と<病気>の間にいるかもしれないのに・・。
ありがとうは何度言っても、言い足りる言葉ではない。
コメント
父も脳梗塞、心筋梗塞とつづけてその後も入退院を繰り返していますが、
父とは心の隔たりがあり、母と姉が対応してくれています。
訪ねていき帰るときyuris22さんと同じ気持ちになります。
私の父も、痴呆がかなり進んで来てトイレの失敗なども増えました。
それでも、ホームから帰る私に
「もう暗いから、気をつけろよ」と言ってくれます。
せつないです。
生きていれば自分も通る道、と思いながら
何をどうすればよいのやら。
ツネ2様
訪ねたは良し。でも帰りのタイミングを見計らうのが難しいですね。
「おーい、おーい、それからね~」と呼ぶ声を振り切って、エレベーターに
乗ったことが何度もありました。
これが真冬でなく、桜の季節だったらもう少し救われるのでしょうけれど・・。
ミススミス様
だんだんと小さくなっていく姿が、昔の面影から遠のいていくのは
何とも切ないものです。
なのに幾つになっても親は親なのですね。
以前は「あのー」とか「ねぇ」とか呼んでいたのが、今では「お父さん」と
自然に呼べるようになりなした。
いくら技術・時代が変わっても
親子関係というか、親の老いは切ないなァ。
髪結いの亭主様
娘にとって、どんな父親であろうとスーパーマンには代わりないのです。
逆に、母親の老いを見た息子の心境も、いかにあろうかと想像できます。
長く生きることは辛くて悲しい、少々嬉しい。でも無理はしたくない。
願わくば医療にも介護にも、自然に逆らわない方向性を望みます。
一人でも、生きている幸せを感じられる
自分になりたいです。
そしてそれをいつまでもです・・・・が、
無理かな。
願わくば、これは難しいですが、
そばにいてくれる人がいればいいいですね。
それがわからない。
結局最後は一人。
でも、まわりには人がいる。
堂々巡り。
すこし、おいしい日本酒を熱燗で呑んでます。
今は幸せです。
ツネ2様
おいしいお酒と思えること自体、幸せなんですよね。
介護施設にいる老人たちは、生きながらえる為のエサを食べるしかないのです。
傍にいてくれる人はきっと見つかりますよ。
それは幾つになろうとチャンスがあります。
求める気持ちを持ち続けてくださいね。