心の目を開けば見えるもの

広告

心の悩みを抱えている人たちから時々メールで相談を受ける。私はカウンセラーでも宗教家でもないので専門的な回答は出来ないけれど、波乱万丈な人生を歩んできた経験を踏まえて、どうすればいいか一緒に考えることなら出来る。
しかしどんなに推敲を重ねた文章で返信しても、所詮はメールのやり取り。相手の顔、特に目を見ないことには本意が見て取れない。

 

あえて名前は伏せるが、先日ある宗教法人の代表と対面する機会を得た。
実家は真言宗、学校はカトリックという環境で育った私は、実のところ新興宗教に対しては疑心暗鬼な心情を持っている。ましてやWEBでしかその宗教を知らないのだから尚更だ。私の相談について、もしその代表が「入会すれば救われる」的な勧誘をするなら、丁寧にお断りして帰るつもりでいた。
ところが返ってきた答えに宗教色は一切なく、即座に「あなたは判っているんでしょう。それに確信を得たいから、私に聞きに来たんでしょう」だった。見事にその通りである。

 

それから建設的な方向に話は進み、ホッとした気持ちで家まで戻ったのだが、反省することしきり。声や表情といったコミュニケーションが介在しないネットの世界は、一方的な誤解を招きやすいことを痛感した。会ってもいない相手を、勝手な思い込みの人物像に作り上げる要素があるからだ。誠に申し訳なかったと思う。

 

新年早々こんな経験をした今にして、とても悔やまれることがある。
私は昨年あるSNSを退会したのだが、その原因はKYなメッセージを送ってくる年配者のフレンドだった。仕事のこと、恋愛のこと、書くもの全てに長文のアドバイスを送ってくる人で、「私の人生の何を知ってるの?」とブチキレ寸前になり、ついには無視したまま退会した。
しかし今思えば彼に悪気があったのではなく、自己流の方法で人生の後輩を心配してくれていたのだろう。文章は的が外れていても、深く真意を探れば言わんとしていることを理解して感謝したかも知れないのだ。

 

不特定多数の相手が存在するネットの世界は難しい。返ってくる賛同と批判に揺れ動きながら、人生に直結した文章を書くことは難しくて恥ずかしい。
まだまだ経験不足な私にとって、トレーニングのための課題は「先入観を捨てて、心の目で見ること」。
どんな相手とでも同じ目線に立った時、自分の姿も偽りなく見えるようになるだろう。このブログにつけたサブタイトル「癒しのWEB」が、いつか本タイトルになるのが目標だ。

コメント

  1. 素浪人 より:

    拙者も、会える人であれば、できる限り会うようにしています。やっぱり表情を見ながら話すのは情報量が違いますよね。
    でも、この日記には十分癒されていますよ。

  2. yuris22 より:

    素浪人様

    ありがとうございます。
    自分を励ます意味でも書いている日記ですが、誰かの役に立ってるのはとても嬉しい。継続は力なりですね。

  3. Satoru より:

    「あなたは判っているんでしょう。それに確信を得たいから、私に聞きに来たんでしょう」
    これは、とってもありがたいお言葉ですね。
    自分自身を振り返るよいきっかけとなりました。
    ありがとうございます。

  4. yuris22 より:

    Satoru様

    人はみんな自問自答を繰り返しながら生きています。「これでいいの?」と誰にも聞けない事が多々あります。自信がないから回りに流されます。
    そんな時に否定ではなく同意してくれる人は、嵐の中に見つけた一軒家のようです。
    自分で自分に嘘をつくのをやめれば気持ちは楽になり、明日は好転するものと私は信じています。

// この部分にあったコメント表示部分を削除しました
タイトルとURLをコピーしました