幸せをつかみに行く春

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節分の昨日は西南西に向かって恵方巻を食べ、目が覚めれば今日は立春。凍えそうなほどに空気は冷たくても、春という言葉だけで心が浮き立ってくる。例えるなら立春は、魔法使いの杖の一振り。キラキラした光の粒子がカボチャを馬車に変えるみたいに、人も動物も植物も古い衣を脱ぎ捨てる日だ。

「ゆり子さん、2月4日になれば悪縁が全部遠のきますからね。あと少しの辛抱よ」
日曜日に国技館で同席した友人が盛んに口にした2月4日は、心の新年のように思えた。
「あなたは何でも許しちゃうから、餓鬼みたいな人間がすがりついてくるんです」とまで忠告されて、お人好しも程々にしようと決心。いや、要らないものを断つのだから「決心」ではなくて「決断」をしたのだ。

最後に絶った縁は、親友だと思っていた女性。ただ私の人脈を利用したかっただけだと分かったのは昨日のことで、彼女を孤独の沼から救い上げようとしたお節介は、自分の奢り高ぶりだと悟った。もちろん今後会わないなんていう極端な態度はとらないけれど、にこやかに大らかに、ゆっくりと遠のいていくつもりでいる。

四柱推命の天中殺も脱した。それとリンクするようにホロスコープのサイトを見れば、これから始まる私への課題は”New horizons”。学ぶこと、未知なる体験や旅をすること、新しい分野の人間関係を築くこと等、あらゆる方面に向かった自分の可能性を広げなさいと言っている。それはお決まりの毎日を抜け出した”positive learning experience”。家に引きこもるのは勉強と読書の時だけにして、何かを学び取る場所へ飛び出して行けとも書いてある。

旅立ちの春、行動の春、学びの春、出会いの春・・。光の春のマジックで、自分の指先が魔法使いの杖みたいに見えてきた。この手で幸せをつかみに行かなくちゃね。

水仙

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    自分で、幸せをつかまなくちゃ! ね!

  2. muha より:

    せんせい こんばんは 記事をみて ツルゲーネフの詩を想い浮かべました。“閾”の中の“夢”です。せんせいも“閾”の中に入ってゆこうとしてるかのようですね。航海士は港にあって水平線の彼方に憧れて水平線上にあって港を恋い焦がれるものです。でも所詮は御釈迦様の掌の上だと自己満足なのではないかな度量の差ですね。

  3. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    誰だったか、幸せは感じるものだと言っていました。そのためにも自分でつかみとりに行かなくちゃ。今年はアクティブになりましょうね。

  4. yuris22 より:

    muha様

    水平線は目指しても目指しても越えられませんが、進めば必ず何かに出会います。それは神様がスケジューリングしてくれた出会いであり、私たちが偶然と呼ぶものです。
    昨日も神業の素晴らしい偶然が起こりました。立春の港から航海は順調です。

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