知性と個性のファッション計画

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テレビで時代劇を見て、昔の人たちが旅をするシーンで不思議に思うことがある。目的地まで何日も歩くのに、どうしてあんなに荷物が少ないんだろう。着替えを詰め込むスーツケースもリュックもなく、女性だって小さな風呂敷を背負っているだけだ。

ラフカディオ・ハーンの『心 ― 日本の内面生活の暗示と影響』には、昔の日本人を綴ったこんな一文がある。
「日本人が長旅を準備するには、5分もあれば充分である。なぜなら、彼らには必需品というものが少ないからだ。束縛されず、家具もなく、最小限の衣類で生きられるという彼らの才能は、日々が戦いである人生において、この国民の優位性を見事に表している」

う~ん、今の日本には5分で長旅の準備ができる人はいないだろうな。昼間の観光はジーンズにスニーカー、レストランのディナーはワンピースとパンプス、他にもアクセサリー、メイク・ヘアケア道具、インスタントの食料、スマホのバッテリーチャージャーなど、カートに詰め込んでコロコロ引っ張るのが当たり前の姿だ。ラフカディオ・ハーンが賞賛した才能は、文明開化で和装から洋装へ変わった時代で途絶えたように思う。

余分なものを持たないミニマルな生活に憧れる私にとって、目下の悩みは服装計画。2013年の秋に、クローゼット半分の洋服を捨てる断捨離を決行したのはいいけれど、いきなり痩せたことで、この春は着るものに困っている。

脇の肉がはみ出てしまうノースリーブ、ボタンを留めるとハチ切れそうなシャツ、息を止めないとホックが閉まらないパンツ・・・、どんな高級ブランドであろうがエイヤッ!と捨てた。細身の服を二度と着られる機会はないと思ったからだ。

ところが禁酒してから自然に減っていった体重は、5カ月目にしてマイナス8kg。スウィーツをドカ食いしても太ることはなく、これ以上痩せることもなく、毎朝測る体重はきっちり同じ。服のサイズは11号から7号へ、手持ちの9号サイズもゆったりめで着られるのだが、薄着の季節は肩が落ちていると貧相に見える。

困って開いてみたのは封印していた衣装ケース。値札付きのまま捨てきれずにいた服を、スリムになって着てみれば、自分で言うのも何だが凄く似合う。しかし大いに悩むのが「流行」なのだ。一世を風靡したアバクロ(Abercrombie & Fitch)のTシャツは、着ても恥ずかしくないのか。ネット検索すると若者たちからの不人気さゆえ、ロゴマーク入りの商品を廃止しているという。

abercrombie
おしゃれな湘南人たちが集う行き付けの店で、「アバクロって今も着てる人いる?」と聞いてみた。するとカウンターの隣に座っていたファッション関係者が勇気のある返事をくれた。「僕だったらここぞとばかり、A&Fのデカいロゴが入ってるのを着て歩きますよ。似合ってるんならいいじゃないですか!」

そうだよね、流行の先端を行く服を買い漁ることだけがおしゃれじゃないんだ。一番人気のブランドでしか自分を表現できないのは個性を無くしてる。量が必要なのはコーディネートの知性を逸してる。「最小限の衣類で生きられる」という昔の人たちの優位性は、自分にフィットする色と素材、カッティングの良さを追求して選んだ一枚を、手入れして大切に着続けること。その点で言えば体形が変わっても着られた和服って、なんて理にかなった衣類なんだろう。

とりあえず買い物に行くのは中止。最後まで残った手持ちの服に、知性と個性をプラスして着こなす方法を考えるのを、この春夏のテーマにしたいと思う。

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