書き下ろし短篇『名画座最後の夜』

朝7時の私鉄駅。改札をくぐったら急いで階段を上って降りて、いつもの電車に乗り込む。つり革に落ち着いて、必ず見るのはホームの壁に貼られている名画座のポスターだ。上映中の洋画は『めぐり逢えたら』。七夕の季節に合わせて、ラブストーリーなのかな。だけど映画の内容よりもっと気になるのは、最終上映という手書きの文字。どうやらこの街に一軒しかない古びた映画館は、今宵限りにクローズされるらしい。

映画館

ふと気付くと、まだ駅に止まったままの電車。「前の電車が車両故障で・・」のアナウンスが流れ、乗客たちの溜息が風になる。誰かが携帯電話で遅刻を告げる連絡を入れ始めると、「もしもし」の声が周りに伝染していく。でも独りだけ電車の遅れに関係のない話をしてる声があるんだ。

「だから、名前をど忘れしちゃったの。映画ファンの貴女なら知ってると思って。『めぐり逢えたら』の女優で、ほら・・、メグなんとか」
僕の隣のつり革で、名画座のポスターを目を凝らして見ている女性。ああそうか、最終上映の文字が女優の名前の上に重なっている。
「えーっとね、『ユー・ガット・メール』に出てたでしょ?」

そうそう、相手役も同じトム・ハンクスだったね。我慢できなくなった僕は、つい口に出してしまった。
「メグ・ライアンですよ」
目を丸くした彼女が、僕の顔を見る。そしてニッコリと頭を下げ、電話の相手にもエクスキューズをする。そのとたん電車は動き出し、僕らはラッシュの乗客にねじれて離れ離れになった。

 

電車は一度遅れると癖がつく。七夕をぶち壊すような、夕方からのゲリラ雷雨でまたまた帰りも遅れた。でも空腹を満たすのは後回しにしよう。改札を出たら家とは逆の方向に走る。最終上映は何時からだったっけ?間に合うかな?残念ながら希望は空しく、名画座の灯りは落ち、雨上がりの匂いだけが残っていた。

 

コンビニで缶ビールとつまみを買い、DVDレンタルショップに寄った。今夜見たい作品は決まっている。ラブストーリーの棚に行きタイトルを目で追っていると、ばったり会ったのは今朝の電車で隣にいた彼女。手には『めぐり逢えたら』のDVDを持っている。アッと指差す僕。いたずらが見つかったかのように微笑む彼女。

めぐり逢えたら

「もしかして、これ探してました?映画館、閉まっちゃいましたね」
「いえ、いいんです。貴女が見終わってからで」
「今晩中に見ちゃいますから。一週間レンタルですし、内緒でまた貸ししますよ。メグ・ライアンを教えてくださったお礼に」
「ありがとう。どこで受け取ったらいいかな」
「明日の朝、いつもの電車、ポスターが見える定位置で」

 

毎朝乗り込む電車のドアは習慣化する。つい目を向ける景色も習慣化する。どうやら彼女は名画座のポスターを熱心に見ている僕につられて、映画ファンになったらしい。そしてあくる朝、ポスターの跡には居酒屋の広告が貼られてしまったのを、彼女が目配せして教えてくれた。

 

彼女が女優の名前を本当に忘れていたのかは怪しいけど、そんなことはどうでもいいんだ。今日は仕事が終わったら、ロードショーの前売り券を2枚買いに行こう。きっとこれからはカップルだらけのシートに、独り淋しく座ることはないと確信を持って。

Copyright by Yuriko Oda

コメント

  1. marie より:

    「めぐり逢えたら」
    DVDをレンタルして観ました。

    いい映画ですね。

    専業主婦でいるうちに沢山の映画を観ようと、レディスデーには映画館に足を運んでいます。
    最近観たもので以外にも集中して観た映画で「告白」があります。
    松たか子さんが教師役で自分の学校の生徒に娘を殺され、じわじわと復習をするというものでした。
    予告編を見た時は「えー??」と言う感じで「イマイチかな??」と思ったのですが、あまりにも暇でその日は雨でしたので、映画館に行きました。
    そしたら意外と観客が多いのでビックリでした。
    で、観始めたら引き込まれるように見入ってしまいました。

  2. yuris22 より:

    marie様

    松たか子さんの『ヴィヨンの妻』は名演技でしたね。『告白』のシングルマザー役は全く違うタイプですが、演技の幅広さを感じます。私も見に行ってみようかな。

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