書き下ろし短篇『7月6日の洗車雨と七夕の催涙雨』

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小学校と職場に向かう家族を送り出した後、ルーティーンの家事を終えればホッと一息の時間。ベランダに干した洗濯物はお昼過ぎには乾きそうだ。麦茶を飲みながらテレビをつけると、天気予報のコーナーでクイズをやっていた。油断すればすぐ雨に降られるこの季節、七夕にちなんだ珍しい季語があるらしい。

洗車雨:7月6日に降る雨。彦星が織姫に会うときに使用する牛車を洗う水になぞらえた言葉。
催涙雨:7月7日に降る雨。年に一度しか会えない彦星と織姫が、天の川を渡れなくなり流す涙。もしくは会ったあとに流す涙になぞらえた言葉。

そうか、明日は七夕なのね。そろそろ30代半ばになる私だけれど、18歳で経験した七夕の出来事はずっと脳裏から離れない。

大学の教室

大学の教室。フレッシュマンセミナーで「ここに座っていい?」と隣の席に陣取ったアイツは、女子たちが噂するイケメン。まさか!とドキドキしつつ、お世辞にも美形と言えない私の隣をなぜ選んだかは、すぐに分かった。いちばん後ろの目立たない席で、雑誌を読みふけりたかったからだ。

中古車

チラッと横目で見ると、食い入るように見ているのは中古車の情報誌。ページをめくると目印の付箋紙が剥がれて、私の前にピラッと飛んできた。指でつかまえて差し出すと頷いて、真っ赤なスカイラインの写真を指差す。「これに決めたんだ。大学を1年浪人して溜めたバイト代で、やっと買える!」
教壇に立つ先生が咳払いするほど、興奮して喋りまくる横顔が子どもみたいに可愛い。私は一瞬で初恋を覚えてしまった。

それ以来、恋する気持ちは一方通行だったと思うけれど、親友として一緒にいる時間が長くなった。車の修理をする町工場を経営している父のおかげで、ある程度の専門用語は耳に入っていたからだ。「このホイールが・・」と熱く語る彼には知ったかぶりで「イイね!」を返し、家に帰ったら父に質問を投げかける。

修理工場

家業に全く興味がなかった一人娘に何が起こったのかと家族は怪しんだけれど、車のメンテを覚えたいと言う彼を連れてきたら、大歓迎の大騒ぎになった。「ただの友達なんだから、勘違いしないでよ」と念を押して紹介したのに、未成年の彼にビールを勧めそうな喜び方である。

頭金を入れて、中古のスカイラインを購入するのに少し足りなかった代金は、週末に父の工場でバイトして稼ぐ。ジャッキアップした車の下に初めて潜り、顔をオイルで真っ黒にして出てきた彼には、従業員たちが駆け寄ってタオルを渡したものだ。

ジャッキアップ

彼女と彼は、美女と野獣の逆バージョン? キャンパスの学友たちが陰で笑っても、私には一つ年上のイケメンが弟に思えるほど、夢を追いかけてキラキラ輝く瞳を愛さずにいられなかった。

念願の赤いスカイラインは6月の半ばにやってきた。どこかにドライブに行くよりも、真っ先に修理工場に乗り付けて、集まったみんなに自慢する。車の性能に運転技術が追い付けるよう、「ヒールアンドトゥはまだ先だね」なんて、私の知ったかぶりもますます高度化したものだ。後ろから父に頭をぽかりと叩かれるのを見て、彼は目をクシャクシャにして笑っていた。

近場で慣らし運転を繰り返しつつ、初ドライブは7月7日の七夕に、中央高速の下り線を山に向かって走るのが目標。ユーミンの「中央フリーウェイ」が大好きで、「♪ 二人して流星になったみたい」をやりたかったと言う。
「♪ 片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて」の相手は私だと確信していたのに、次の言葉は違った。「いつか彼女が出来たときのために、予行練習するんだ」と。
だよね、私じゃないんだよね…。それから大学はずる休みし、父の工場には行かなくなった。

7月7日

そんなこんなしながら七夕が刻々と迫りくる。ずっと既読にしなかった彼からのメッセージをうっかり触ってしまい、届いた画像に目が留まった。水を出したホースを持って車の横に立ち、「洗車雨」のキャプション。
何だろうとネットで語句を調べたら、「洗車雨」は彦星が牛車を洗う儀式だと書いてあった。国文科にいる彼らしい言葉の選び方だ。天の川を渡って会いに行く織姫ができたのかな。もちろんそれは不細工な私じゃない…のネガティブな自分が携帯の電源を落とした。

あくる日も一日を通して雨。せっかく車を洗ったのにねと、ほくそ笑む意地悪な私がいる。そしてそれきり彼に会うことは叶わなかった。中央高速で単独事故のニュースが流れ、大雨でスリップして大破した赤い車の画像が映っていた。

雨の高速

密葬が終わったと聞いて1か月ほど過ぎてから、彼のお母さんが「お世話になりました」と父の工場を訪ねてきた。「あの子が大切にしていたので」と差し出してくれたのは、免許証入れに挟まっていた私の写真。まだ運転が下手で隣に乗ってくれないから…と、写真を連れて行くことにしたそうだ。

いつ撮ったの? どこで撮ったの?
写っている景色はあの教室。「大学で初めて見た時から、横顔がサイコーに好きなんだ」と家族に自慢して、七夕の夜のドライブで告白する気でいたらしい。イケメンでも恥ずかしがり屋だから、愛してるって言っても聞こえない場所にしようと、「中央フリーウェイ」の歌からヒントを得たのだった。

結局のところ卒業後も恋人ができなかった私は、平凡なお見合いで結婚。中央高速で散ってしまった彼とはルックスに雲泥の差がある男性だけれど、父の工場を継いでくれるメカニック好きなところに惹かれた。

無駄遣いしないようにと愛車は軽自動車。明るいうちに帰宅した夕方、夫はホースを引っ張り出して洗車している。「どうしたの?」と聞けば、もちろん返事は「洗車雨」じゃない。長期の住宅ローンを組んで手に入れた家に、薄汚れた車が止まっているのがカッコ悪かったそうだ。埃だらけになった車体のくすんだ赤がだんだん鮮やかになっていく。

洗車
子ども部屋に灯りがつき、私はキッチンに戻って夕食の支度を続け、玄関の外では車に水をかける音。いつも同じ時間に「ご飯よ~!」と叫べる幸せがここにある。

18歳の切ない思い出を未だに忘れることは出来ないけれど、明日の空は「催涙雨」じゃなく、子どもたちが学校から持ち帰った七夕飾りがベランダに並ぶ天気だろう。そして「ご飯よ~!」の呼び声が響くだろう。

食器を洗い終えて、家族がお風呂に入っている頃に、夜空を見て彦星を探そうかな。天の川を挟んでキラキラ光る織姫さんは、宇宙で見つけた永遠のパートナーでありますようにと、地上から心のメッセージを飛ばしながら。

七夕の空


後記:
若い頃には想像も付きませんでしたが、還暦を超えると転げるように歳を取っていきます。年に一度の七夕ストーリーをまた来年も書けるのか、頭脳、心、健康のバランスが取れていないとダメだなと感じています。それでもあれっ!?と思うのは、物語の引き出しが増えたこと。ネットで情報収集する時間が増えたからでしょうか。

今回は私の経験値からは湧いてこないストーリーに挑戦しました。仕事するときはパソコンに向かいながら、同時にずっとYoutube Musicをリスニング。学生時代から親しんできたユーミンや小田和正、財津和夫といった懐かしい曲たちが妄想力(想像力)を掻き立ててくれます。思い出から未来に向けて何を広げていくかが今の課題です。

今は私の名前を検索すると、ファッション記事が前面に出てくるようになりましたが、その代わりに物語を作ることが趣味になって楽しい! 年代やジェンダーにとらわれず、新しい感覚を育てていければと思っています。また来年も頑張れるよう、皆様どうぞ応援してくださいませ。

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