書き下ろし短篇『七夕の夜。人生にツイてない僕でも一人じゃなかった』

広告

七夕飾りで有名な街で育った僕は30代前半。
勉強は嫌いじゃなかったが、シングルマザーの家庭で貧しかったから大学には行けず、高校卒業後は大手飲食チェーンの居酒屋に就職した。ファミリーレストラン勤務で忙しい母に代わり、夕食の支度は小学生の頃からやっていたので調理は得意。美味しいもので人を喜ばせる職につきたいと卒業文集に書いた。

1日の仕事を終えて、母が戻ってくるのは夜10時近く。
アパートの階段を上る音が聞こえる5分前に、コンロの火を点けてアルミ鍋を温めなおす。100均で買った器に並々と料理を入れて、立ち上る湯気の香りを嗅ぐと、玄関の扉が開く音がする。日持ちしない30%引きの鶏肉とモヤシの煮物という安価なメニューだって、「美味しいね~、美味しいね~」と微笑む母の顔を見るのが幸せだった。

アパートの階段

実を言うとその料理を、僕は器に半分しか食べていない。ホカホカのご飯でお腹を膨らませたら満足。高校に行ける学費を稼いでくれる母には感謝しかないのだ。将来は社長になって、きっと恩返しするからね!

とは言え高卒で就職した居酒屋は、当然ながら微々たる給料しか貰えない。しかもやる気満々だった調理場の手伝いはNG。本部から送られてくる冷凍品を温めるだけだから、手慣れたスタッフだけで充分なんだろう。重たいビアジョッキをトレイに何個も乗せて往復し、酔って無理難題を言ってくるお客の対応に頭を下げるのが僕のルーティーンだった。

大手居酒屋

だけどそんなことじゃヘコたれない。先輩のイジメにもお客の罵倒にも負けない。
給料をコツコツと溜めて、小さいながらも自分の店を持つ夢を育てていたんだ。安い食材でいっぱい食べてもらえる店。淋しい人たちが毎晩ひとりで来られて、笑い声が絶えないアットホームな店。母がファミレス勤務を辞められるほど、少しばかり生活が楽になる店。一国一城の社長になれる店。

そして30歳になる前に、心臓が飛び出そうな勇気を出した。JRの駅から続くアーケード街にある建物の1階。飲み屋があったと記憶している場所に、貸店舗の張り紙があるのを見つけたんだ。

貸店舗

正社員であっても、手取りは15万円に届かない僕にチャンスはあるだろうか。敷金ってなんだ?不動産屋なんて行ったことがないぞ。

帰宅してから一連の流れは映画のようだった。夢を話した僕に、「これ、使いなさい」と母が秘密にしていた貯金通帳を手渡してくれて、絶対に嫌われているはずの上司が「がんばれよ」と、開店資金を借りるための保証人になってくれた。底意地の悪いイジメ集団だと思っていた先輩たちは、送別会の席で僕の頭をコツンしながら、唇の端を上げて笑って、先に全員酔いつぶれた。

果たして僕に商才があったかは分からないが、誰でもフレンドリーになれる居酒屋はトントン拍子に繁盛した。カラオケ機材を導入して、聞きなじみのある歌でみんながコーラス。貧しい母子家庭で培った料理の腕には自信があり、安くて美味くて楽しい店として評判を呼んで、テレビの取材まで来たほどだ。これなら開店資金の借金など難なく返せるだろう。

居酒屋

しかし・・・まさかのコロナ。従業員募集の広告は引っ込めて、とりあえず様子を見ることにした。

僕を取り巻く環境は、坂道を転がり落ちるように悪化していく。駅から続く賑やかなアーケード街は、閑古鳥の無くゴースト通りとなった。追い打ちをかけるように、飲食店にとっていちばんの掻き入れどき、7月~8月の七夕も中止が発表された。持続化給付金とか家賃給付金とかの申請は難しく、たまにスマホをいじる程度の僕にはチンプンカンプン。何度も差し戻しされて、支給はかなり遅れた。

年が明けてもコロナは収まらない。蔓延防止措置の時短要請が重なり、夜はアルコールの提供を禁止。客席は距離を置いて座る、マスク飲食の実施、しかもカラオケは終日禁止となれば、店を開けるな!と言っているに等しい。

コロナ禍

「命まで取られないよ。どうにかなるよ」と笑う母はとうとう雇い止めに遭った。非正規雇用なので失業保険も退職金もなく、これまでの給料に僅かばかりの心付けが入った封筒を渡された。「足しにしてね」と、そのお金を僕の借金返済に差し出そうとする。「ハローワークに行けば大丈夫」と気丈さを演じても、これといった特技や資格のない母には、新しい職が見つかるはずがない。何の力にもならない息子でごめん。つらいよ、つらすぎるよ・・。

最後の命綱は今年の七夕だったけれど、市は規模を収縮。客足なんて望めそうにないのはカラスでも分かる。閉店記念日として記憶に残るよう、7月7日でクローズすることにした。

いつも曇りときどき雨だった、いや雨たまに曇りだった僕の人生。せめて最後の日ぐらいは快晴になって、どんちゃん騒ぎをしたいもんだな。いつもより早く、昼過ぎから開店することにした。

曇り空

仕事を失くしてから僕の店を手伝っている母が、ガラガラッと引き戸を開けて暖簾を出した。入り口に盛り塩をして、赤ちょうちんに灯りをつける。まだ梅雨が明けていない空気は蒸し蒸しと暑く、仰いだ空はどんより曇っている。
「大丈夫!雨は降らないよ。最後なんだもん、常連さんたちが徒党をなして駆けつけてくれるよ!」
母はカウンターと椅子に除菌スプレーを吹きかけて、雑巾がけで念入りに消毒をする。念には念を入れてもう一度拭く。

アルコールの提供は午後8時まで。営業は午後9時まで。そしてお客さんは午後7時を過ぎても一人としてやって来ない。
カウンターの隅にちょこんと座り、入り口をずっと見張っている母に声をかけた。
「お腹すいたんじゃない? モツ煮を腹いっぱい食って、二人でお疲れさんの乾杯をしようよ!」
こくんとうなずいた母が冷蔵庫に瓶ビールを取りに行った。

グラスに金色の泡を注ぎ、カチンと合わせるときに出てきた言葉は「乾杯」じゃなくて「献杯」。終わった店と返済手段のない借金への挨拶だ。空洞のような心から吐き出る溜息は細く深くフーッと・・、酒豪の僕がビール1杯でボーッとなった。そして・・・

引き戸

「待たせたな!!!」
勢いよく引き戸が開き、見覚えのある顔たちが並んでいる。そう、高卒で就職した居酒屋の上司と従業員たちだ。「厨房を借りるぜ」と、抱えてきた発砲スチロールの箱から食材を取り出し、分担して手際よく調理を始める。えっ、冷凍食品を温めるだけの腕じゃなかったんだ。みんなプロじゃないか。

素早くカウンターに大皿の料理が並び、拍手と共に始まったお別れ会。コロナでカラオケは禁止だからとアコースティックギターを抱えてきた上司は、押さえるコードは適当ながらもジャンジャカと弦を掻き鳴らし、マイク無しでみんなが適当な歌詞を歌いまくった。懐かしくて、笑って泣ける歌なら何でもいいんだ。幼少期から現在に至るまでの思い出が歌と一緒に駆け巡る。

乾杯

何回も乾杯を繰り返し、アルコール提供禁止の8時が近づいて、僕は最後の挨拶をしようと立ち上がった。
「もうラストオーダーかよ」
「終電まで飲ませろよ」
「ケチってんじゃねえよ」
大手チェーンの居酒屋で、客にいびられ続けた新人のころに浴びせられた言葉が飛んでくる。「冗談ばかりィ」と笑う僕に、据わった眼が集中する。おろおろと止めに入る母は足が震えている。

なんだ、結局はあの当時と同じようにイジメたかったんだ・・・。今夜で店をたたむ絶望感に加え、頭上を真っ暗な孤独感がずんずんと広がった。泣くな、負けるな、絶対にこんな奴らに馬鹿にされるな!

どうにでもなれ!と振り上げた拳を母が止めに入る前に、上司が力強くつかんだ。そこに従業員のみんなが手を重ねて、拳の山が出来ていく。「やめるなよ!」「お前なら大丈夫!」「社長ガンバレ!」と声を張り上げながら。

涙が溢れすぎて鼻も耳も詰まった僕に、上司が説明してくれた。
「なんだ、あのそのー、クラウドファンディングってやつを仕掛けることにしたんだよ。お前の店を続けることに賛同してくれた人たちから資金を集める仕組みだ。俺はインターネットがよく分かんねえけど、こいつらがスマホで一生懸命調べて、やっと審査に通りそうなんだ。だから店を閉めるのは待て。日本じゅうから資金は集まる!!」

クラウドファンディング? 僕には何のことやらだけど、日本じゅうって大風呂敷じゃないか?
それでも僕は孤独じゃないんだってことだけが分かり、もうちょっと頑張るかという気が少し沸いた。

クラウドファンディング

仲間たちが帰った後の片付けをしながら、母がぽつりとつぶやく。
「大人になってから、人生でいちばん味方になってくれるのは、親よりも友だちだよ。お前は幸せ者の太鼓判が押せるから、次はお嫁さん探しを早くね」と、洗い桶に涙を落とす。

うん、そうだね、そうだね・・・。
暖簾を下げに引き戸を開けると、空には久しぶりの星たちが見える。誰も歩いていないアーケード街に来年は華やかな七夕祭りが復活するのかな。その時には僕の店にも、酔ったオヤジたちのカラオケが響けばいいなと、いちばん大きい星に願いをかけた。

大きな星


怒涛のような1年でした。去年早々に始まったコロナ禍に加え、4月には父の死去。攻撃してくる人たちとのバトルを終え、諸々の手続きが片付いたと思ったら、9月には愛猫の慢性腎不全末期が発覚。獣医さんに数カ月の余命宣告をされましたが、家籠りして看病を続け、前よりも体重が増えて生命を保っています。とは言え腎臓の数値は低迷を続けているので、明日には泣いているかもしれません。

七夕をテーマにした短編は今回で15作目。何を書こうかと迷ったあげく、今でしか書けないコロナをモチーフにすることにしました。つらい日々が押し寄せてきても、一人じゃないんだと思える家族、仲間がいれば僅かでも心が楽になります。今の私には「大丈夫?」とLINEをくれる息子と、「お互いに助け合おうね!」と手を取れる同年代の女友達もいます。

一人じゃない。頑張っている自分を応援してくれる人は必ずいる! そんな想いで物語を書きました。止まない雨はないと言うように、もうすぐコロナ禍もきっと遠ざかります。マスクを外せるようになったら、あなたに沢山!いっぱい!トゥーマッチ!な幸せが降り注ぎますように。

 

コメント

// この部分にあったコメント表示部分を削除しました
タイトルとURLをコピーしました