またひとつ昭和が消えていく

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NHKを見ていたら、新宿歌舞伎町のシンボルだったコマ劇場の解体が始まったというニュース。開業の昭和31年から数えて何代目だろうか、マイクを向けられた最後の支配人が「なんだか母校がなくなるみたいで・・」と、覆いに包まれたビルを見上げている姿は切ない。これで昭和がまたひとつ、ガラガラと崩れる騒音と共に、埃の中に消えていく。

 

私がコマ劇場を知ったのは、作詞家になってホヤホヤの頃だった。それは時代劇「暴れん坊将軍」&現代風ショータイムの二部構成だった松平健さんのステージ。りりしいチョンマゲからタキシードに着替えて歌う第二部のナンバー「NEWYORK NEWYORK」や、エルビス・プレスリーの「LOVE ME TENDER」など、幾つかの訳詞を担当したのがきっかけである。

 

リハーサルスタジオのスタッフ席にちょこんと座って、間違いなくいちばんド素人の私。ジャージ姿の健さんがタップダンスの練習をしたり、ダンサーと腕を組んで足を振り上げる姿を、目を丸くしながら見つめていた。きびきび踊るには少々重たそうな体型だったが、休憩時間にも汗びっしょりで練習する真剣さに、芸人の根性を垣間見たと思う。

 

カレンダーの数週間を任される座長を務めるには、人並み外れて芸達者でなくてはならない。「演歌の殿堂」ことスタジアム形式のコマ劇場を満席にするには、ちょっと下手でもファンなら許してくれるだろうでは駄目なのだ。

 

ゲネプロが終わった本番。健さんを一目見たいという祖母を、プロデューサーにお願いして劇場に入れて貰った。客席に空きはないので、2階にある照明室からガラス越しの観劇。満面に笑みを浮かべた祖母は「これがお前の作った歌かい?」と、後ろの私を何度も振り返る。ほんの数曲しか作っていないのに、周りの手前こっぱずかしかったが、作詞家プロデビューの内心は、健さんに「歌って下さってありがとう」の感謝でいっぱいだった。

 

そんな懐かしさを抱きながら見ていたニュースの最後。「コマ劇場がついに無くなりますが・・」というインタビュアーの問いかけに、演歌の女王・小林幸子の返答がまた泣けた。「建物は無くなっても、どこかにコマ劇場という名前は残せないんでしょうか」。

 

敷地を所有している東宝によれば、ビル解体後の利用法はまだ決まっていないらしい。できることなら見たくない風景は、外資系ホテルの高層ビルが建ち、足元にある歌舞伎町が根こそぎ近代化の波にさらわれていく津波現象。学生時代、強がるボーイフレンドの腕に手をまわし、ドキドキしながら歩いた歌舞伎町は、やがて写真とビデオの中でしか見られなくなるだろう。

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