書き下ろし短篇『天の川と三途の川』

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昨日からの雨は土砂降りになり、傘を斜めにかかげてもずぶ濡れの午後5時。
馴染みのカウンタースナックに駆け込むと、お客はいなくてテレビだけが喋っていた。
東京から小一時間の地方都市。娘時代から家業の飲み屋を手伝ってきたママは50歳を過ぎ、建付けにガタがきた店を今は独りで切り盛りしている。

カウンター居酒屋

 

「あらスーツなんか着て。お出かけだったの?」
「うん、まあね、会議があった帰り」
奥のキッチンから顔を出したママが、手のひらにアルコール消毒のスプレーをシュッシュする。
濡れたジャケットを脱いで椅子の背にかけ、腰をおろすと溜息の塊がこぼれた。

コロナ騒動の自粛要請は終わっても、店に客足が戻らないのは鬱陶しい梅雨空が続くからだろう。雨が降ると関節が痛いだの、出るのが面倒だのと言う常連客はみんな歳をとったのだ。

大雨

 

運ばれてきた生ビールのジョッキは、お疲れさま!と言わんばかりにヒンヤリした汗をかいている。
ママが再びキッチンに入ったのを見て、隣りの椅子に置いたハンドバッグに向かって献杯をした。中に入っているのは、コロナ自粛の最中に老人介護施設から旅立った父の位牌。四十九日と身内だけの納骨式を終え、霊園での解散後に独りで道草しているのである。

アナウンサーが早口でまくしたてるテレビでは、豪雨災害とコロナ感染者のニュース。昔だったらSF映画だったのが現実となり、いつ私の番がきてもおかしくない。

「日本はどうなっちゃうんだろうね。経済はダメだし、来年まで持つのかしら」
不安げに画面をチラ見しながら、お通しにキュウリとワカメの酢の物が運ばれてきた。甘酸っぱい香りと涼しい彩りに、20年ふた昔には存在していた実家の夕げを思い出す。キュウリの塩もみをするのは私の役目で、手を抜けば「苦いぞ」と父から怒られたものだ。

酢の物

 

酢の物は健康にいいと食事のたびに要求していた父は、食道楽と飲兵衛がたたり、やがて脳卒中で寝たきりになった。実家を売り払った費用で高級老人ホームを終の棲家としてからは、キュウリどころか形のない介護食だけが生きがいだったように思う。痴呆が進むあいだに妻は先立ち、出戻り娘は恋も諦めたシングルのままだ。

 

雨はやまない。2杯目のビールを飲みほした後、タクシーを呼んでもらい帰宅した。
アパートの電気を灯し、骨壺がなくなった棚の上に位牌を置いて、「お父さん、お帰りなさい」と手を合わせる。
線香をつけて「おじいちゃん、おばあちゃん・・・」と鬼籍に入った家族に声をかけた後は、病で逝ってしまった恋人や友人たちの愛称を呼ぶ。アドレス帳を何度も引き継いできたスマホから、いまだ消せずにいる名前たち。どっと虚無感が押し寄せ、腰をおろしたソファーでいつのまにか眠ってしまった。

線香

 

翌日は雨が上がって曇り空。
いつものようにパソコンで仕事をして、合間に食事をして、また夜がきて9時のニュースを見る。
今年は七夕祭りも中止になったと、寂しげな街の様子が映し出されていた。そして終わりの見えないコロナ騒ぎが延々と報道され、人の不幸ばかりを受け入れ続ける重みに息が苦しくなってきた。メンタリティの強さには自信があったのに、これって鬱なのかな。

テレビ

 

深呼吸しようと窓を開けたら、雲が消えた夜空には星が出ている。
つっかけを履き、昼間はウォーキングコースにしている川沿いの遊歩道に向かった。
ベンチに腰をかけて天の川を探すものの、いったい何処にあるのやら。星座を見るのは子どもの頃から苦手なのだ。

 

「やっと晴れたね。ほら、天の川がきれいだよ」
突然の声に驚くと、隣りに座って空を指差すのはカウンタースナックのママ。今夜は客入りが全然なので、早々と店を閉めて帰宅する途中らしい。この場所で夜に出会ったのは初めてだ。

河川敷

 

「天の川があるのなら、三途の川もあるのかな」
目の前を流れる大きくて淀んだ川を見て、なぜか言葉が出た。
「あると思うよ」
暗い河原に目をやりながら、立ち上がったママは小石を拾って積み始める。何をしているのか尋ねると、「賽の河原」の石積みを手伝っているんだと教えてくれた。

 

賽の河原とは、死んだ子どもが行くとされる三途の河原である。伝説によると、親より先に死んでしまった子どもは冥途に行くために、三途の川の手前にある河原で石積みをしなくてはならない。「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と小石で仏塔を作り、それを鬼に何度も倒されては、また一から積み上げるのだ。鬼はなぜそんな意地悪なことをするのか。親より先に死ぬ子は「親不孝」とされ、鬼から報いを受けたあとに、地蔵菩薩によって救済されるのだという。

川辺の石積み

 

「ずいぶん昔の話だけどね、私の子ども、生まれてすぐ死んじゃったんだ」
ポツリポツリと話してくれたのは・・、店の常連だった妻子持ちと恋仲になったママは、家族に反対されながら独りで出産する決心をした。しかし惚れに惚れた相手は転勤で海外に去り、それでも生んで育てようと思った赤ちゃんは、心臓が弱くて短い命だったのだそうだ。

時どきこの河川敷に来ては石積みをして、わが子が天国に行けるよう祈る。
「おかげで行かず後家になっちゃった!」
アハハと陽気に笑うママが、ポンと私の背中を叩いた。
「三途の川はあるから安心しなさい。お父さんは金銀七宝で出来た橋を渡って、先に行ったみんなと仲良く暮らしているよ」
七夕の夜にオバサンが二人、並んで見上げた夜空にスーッと流れ星が走った。

流れ星

 

「ねえ、今度私が作った酢の物を持って行っていい? わりと料理は上手なの」
「あら嬉しい。もうすぐ土用だし、鰻ざくがいいなあ」
「ウナギが高くつくわね」
「安いとこ教えてあげる。あんたは世間知らずだから、私みたいなのを友達にしといたほうがいいよ」

肩をぶつけ合う帰り道に流れ星がまた一つ、二つ。きっと梅雨明けはもうすぐだ。

水色のアサガオ


毎年7月7日にアップしている短編小説は14本目となりました。今年は恋愛小説ではなく、親子と友人のストーリー。これを読むと実話?と思う方もいらっしゃるでしょうが、私はノンフィクションライターではなく作詞家で、観察している日常から題材を拾って膨らませる物書きです。

ただし自分の心にフィクションは持ち込めません。歳を取ってくると人間関係も然り、先の見えない恋でギャンブルするよりも、痛みを分かってくれる友人の隣りが最高の居場所だと思うのです。そんな老後が築けたらいいなと希望を抱いた物語になりました。

しばらくこのブログをサボっていましたが(またサボり続けるかも)、ゆるゆると好きなことを綴っていけたらと思っております。人生100年時代、頭がボケないようにプログラマーとしても現役をキープしていきますからね。

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