昨夜は赤坂の小料理屋で、某大企業の役員と会食。熱燗を注いで頂きながら、いつも陽気でルックスも良い彼が漏らした一言に箸が止まった。
「僕はね、胃が半分ないんですよ」。
数年前の健康診断で胃がんが発見され、今後の治療法についての説明が医師からなされた。セカンドオピニオンを求めますかと聞く医師に対し、彼が答えたことは、
「手術室は一番早くていつが空いていますか?」
すぐに切ってしまうことを決断したという。
がんであることを会社に打ち明け、このまま復帰できなくなる可能性を抱えながら入院。手術は無事に成功し、今では美味しく食事も出来るようになった。しかし胃にちょっとした違和感があれば、再発したのかとビクビクする不安を持ち続けているという。
そういえば私が一年半前、前の会社を退いて文筆業に戻ったとき、「良かった良かった」と彼が喜んでくれたことを思い出す。何が良いのか、どうして救いの手を差し伸べてくれないのか、先行きが不安だらけの私には理解できなかったが、昨夜やっとその意味がわかった。
「僕は部下にも言っているんですよ。君たちが本当にやりたいことをやりなさいと。これは死の淵に立ったからこそ言えることなんです」。
命あっての物種。どんな成功も死んでしまっては得られない。健康であることが一番の財産なのを、時として人は気づかず、物欲にとらわれる。
右を見ても左を見ても不況の声ばかりで、世知辛い12月。不安は山ほどあるけれど、それが命に関わる健康問題でないことを感謝して、今は一歩一歩進むのみだ。
人間が生きることの本質とは何なのか、昔見た映画・黒沢明監督の『生きる』をもう一度見てみたくなった。
コメント
お久しぶりにコメントさせて頂きます^^
健康だから日々の暮らしが営めていることを忘れて、自我に迷い、生かされていることへの感謝が薄らえている自分がいます。「100年に1度の危機」と叫ばれている今、物事の本質を見極め、足りうるだけの幸せに感謝し、他に振り向ける慈愛をもつこと。
yuriさんのブログで、いつもいつも改めて気付かされることが多い私です。
「したい時にできる」を「あたりまえ」と思っている。
でも、「自分でできる」を一度失うと、「あたりまえ」では無い事に気付く。
しかし、そこで気付いても遅くは無い。そこからまた人生を始めれば良いと思う。
いや、生き恥をさらしても、命を尽くし生き直すしかない…と思う。
渡辺孝子様
欲があるから不安がある。求めすぎれば自らを滅ぼす不文律を、この時世にひしひしと感じます。
どんな人間も生まれたときには、身体以外何も持っていなかった。死んでいくときも同じです。孝子さんが仰るように、今こそ本質を見極めるときなのでしょうね。
素浪人様
今日、介護施設にいる父に会いに行ってきました。
かろうじて動いていた片方の手が今はブルブルと震えて、スプーンを口に運ぶことさえままなりません。それでも手を貸さずに辛抱強く見守ることが、父の自我をキープする手助けなのだと思いました。
生きていくことは辛い。でも生きなくてはならない。寿命を全うした先にはどんな幸せが待っているのでしょうね。
本当に、健康は有り難いものですよね。
私は、今から8年前にそれを思い知らされました。
元々、丈夫な方ではなく、度々、子供の頃から風邪を引いていました。
大きな病気も入院もした事はなかったのですが、出産を機に初めて入退院をしました。
まず、切迫流産で入院した事。次に出産で。
ここまでは、まぁ、出産だから仕方ないかぁとも思いました。この後が大変だったんですよ!
産んで、一ヵ月後、膀胱炎を半年近くもの繰り返しました。そして、副鼻腔炎が影響しての咳。とにかく、体調が良かった事が少なかったです。
それが、トラウマになり、二人目を産む気力を失ってしまいました。前向きじゃないと思う方もいるでしょうが、こればかりは本人や似た経験をした人じゃないと、気持ちなんてわからないですよね?
けれども、現在いる我が息子は本当にかわいいし、宝です(^-^)仕事や、日常のストレスとかで気持ちに余裕の無い事も多いですが、大事にしようと思っています。
出産、結婚、離別とか人生には本当に大きな節目とか出来事がありますが、自分に嘘を付いたり、無理をして生きる必要はないですよね?
ある程度の節度は持って、他人のせいにはしないで、人生は楽しまないとね(^-^)
marie様
出産がトラウマになった状況、お察しします。
辛い思いがあるからこそ、息子さんを愛しむ気持ちは人一倍でしょうね。
人生は山あり谷ありと言いますが、私としては谷で悩み苦しむ時間の方が長いかも・・。
自分のみっともない姿を晒して散々泣いて、次の山を目指す時には前より早く頂上に到達します。それが歳を重ねるっていうことなんでしょうか。
明日は思いきり笑える日であることを毎日祈っています。