盛夏の昼下がり。アブラゼミの鳴き声に包まれた駅のベンチ。太陽が照りつけるレールの熱で、じっとしていても汗が吹き出てくる。
「電車来ないわねぇ」。白いサッカー生地のワンピースを着た母が、フウッと溜息をつき、バッグから扇子を取り出した。隣に座った私まで届く涼風は、とてもいい香りがする。それが白檀という香木だと聞き、大人の女が持つ宝物というイメージが私の頭に根付いた。頭が良くて美しくて若々しい母は、小学生の私には理想の女性像だった。
背伸びしたかったあの頃。学校の教室にはクーラーも扇風機もなく、みんな下敷きでパタパタと顔をあおぐ。夏休みの登校日、白檀の扇子をこっそり持ち出した私は、これみよがしにゆらゆらと高級な風を作った。
「くっせー!」「気取ってんじゃねえよ!」
周りの男子が鼻をつまみ、たちまち仲間はずれ。しょげて家に戻って母に事情を話せば、「お嫁入りの時に持たせてあげる」と、遠い未来の約束が返って来た。
それから十数年後、私が婚約中に両親は離婚。母は恋をした新しい男性のもとへ去って行った。結婚式の前日に、祖母が嫁入り道具に忍ばせてくれたのは細長い桐の箱。「お母さんのだけど・・」の言葉に目が輝き、しかし中身が期待していた物ではないのを見て、がっかりと蓋を閉じた。
桐の箱は今でも手元に置いてある。何度開けてみたって、中には白い象牙の扇子。白檀よりも高級品なのは一目瞭然でも、私が欲しかったのはあの夏の扇子だ。どこで何をしているのか、思い出を連れて行ったまま音信不通の母を、私は未だに越えられない。
「これじゃ生き形見にもならないわ」と悪態をつき、白檀の香りを待ちわびている少女がここにいる。
コメント
はじめまして。
わたしも白檀の扇子が欲しくて検索したところ、
こちらのBlogにたどり着きました。
白檀の扇子の思い出ってみなさんそれぞれお持ちですが
織田様は複雑な思い出がおありのようですね。
お母様の白檀の扇子….どこへ行ったのでしょう。
この象牙の扇子も素敵ですね。
つまらないコメントですみません。
Blogを読んでいて、何だか心に響いてしまったもので。
失礼しました。
因みにわたしの白檀は明日届きます。
ふくちゃん
私も白檀の扇子を沢山検索しました。
ネットショッピングのサイトも見ましたが、思い出の複製品を買うような気がして、やっぱり購入ボタンが押せません。
きっと女が一生に一本、大切にする扇子なのでしょう。明日届くのが楽しみですね。
扇子は大人の道具ですね。出張の時に重宝しています。
親父が好きでよくおみあげに買って来てくれます。
的は逗子の素浪人様
暑い時に、さっと扇子を取り出して扇ぐ仕草には「粋」を感じます。
若い人たちにも、ジーンズのポケットに忍ばせて欲しい小道具ですね。
扇子は私が子供の頃にも憧れのものでした。
扇子は大人の女性のイメージ、今で言う「セレブ」のイメージでした。
背伸びと言えば、叔母の持っていた口紅が憧れ(小学生の頃)で、こっそり塗ったことがあります(笑)
marie様
口紅は私も同じく小学生のときに試しました。口紅=マズいという、味の記憶が残っています。
あと、スワトウのハンカチもセレブなイメージでしたね。手を拭くには勿体無くて、何のために持つのか分からないところも大人の秘密っぽかったです(笑)
ビャクダン=サンダルウッドは濫伐の為激減しインド政府で厳しく管理されるようになりました。植樹して成長するのに約80年近くかかるのだそうです。ヒトの生きざまとダブる香木みたいですね。ヒーリングも兼ねて湯に入れてみます。
muha様
サンダルウッド。夏には涼しさをくれる香りですね。私も削りくずを手に入れて、枕の下に置いてみようかと思います。どんな夢が見られるか楽しみです。