モノに溢れたエコ生活

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石油危機、食糧難と言いながら、資源の無駄遣いは相変わらず続いている。
捨てるしかないものを供給されたり、要らない新製品を買い込んでしまう日々に苛立つ。

毎日ポストに入ってくるチラシやダイレクトメール。
目も通さず捨ててしまうけれど、発注する人・制作する人・配る人の生活を支えているのを思えば心苦しい。
スーパーのレジ袋を使わないために購入したエコバッグ。
地球に優しいと言いながら、合成繊維やコーティング生地では土に戻らないのでは?と矛盾を感じる。
ランチで出てきた大盛りのカツ丼。
店の気前良さに感謝しつつ、最初から半分の量を頼めば良かったと、残飯になる白米を申し訳なく思う。季節外れの台風や洪水の被害が相次ぐフィリピンでは、深刻な米不足が続いていると言うのに・・。

カツ丼

私たちの国・日本は、モノ・モノ・モノに溢れた毎日。
しかし大地震や火災など突然の災害時に、何を持って逃げるだろう。
準備してある物を持ち出せず、命からがら逃げ出した場合、本当に何が必要だろう。
とりあえずは水、そして横たわることができる場所。
船が難破して無人島に流れ着いた自分を想像すると、都会暮らしの必需品が色褪せて見えてくる。

「スローライフ」「ロハス」「エコ」・・。
お洒落な横文字は増えていくけれど、本当の深刻さは浸透していない。口ばかりの資源対策の下にまたモノが増えてゴミが増える。
もしかしたら増殖していく文明人こそが、地球の最大のゴミかもしれないな。

自分を生んで育ててくれた母なる地球を、成長した子供たちが面倒を見る番が確実に来ている。

コメント

  1. こまちゃん より:

    立派なヒレカツ丼ですねぇw

    ジョギングするようになって
    気がついたんですが
    車で移動していては気がつかない事が
    沢山あるんですよねぇ。

    人間が自分の力で動ける速度で、
    自分が食べる必要がある量だけ、
    暮らすのに必要な最低限の広さだけ、
    最低限必要な衣類。

    これだけで生きていけるんですよねぇ。
    自分が走っていける距離を活動範囲にすると
    別の世界が見えてくる気がします。

  2. yuris22 より:

    こまちゃん

    実はこれ、「マグロカツ」なんです。
    大盛りはこの倍ぐらいありますよ。
    私には3日分ぐらいの量でした。反省m(__)m

  3. たけぞう より:

    いやぁ~わかるなー。

    出てきたときに「しまった、頼んでいる周りの人のを見ておくんだった」って後悔しますよね。わかっていれば、僕は頼まないか、「ご飯半分ね」と頼みます。

    うちの亡くなった父親は昭和ひと桁生まれ。貧しい時代を生きた彼の方針は「出された食事は残すな!」。米粒一つも残したら怒られたし、魚をきれいに食べられるようになったのも彼のおかげです。

    本当は昔から自然は有限。「もったいない」の精神を忘れちゃいけませんね。しかし「ご飯半分ね」というと、だいたい3分の2くらいで出てくる。それを見越して「本当に少しでいいので」というと、本当に少しだったり。うーん・・・時々悩みます。

  4. yuris22 より:

    たけぞう様

    私の父は「子供の頃、秋刀魚の骨を残すと怒られた」と言ってました。
    頭から丸ごと一匹食べさされていたそうです。

    骨が丈夫になるのはもちろん、生ゴミを出さないという観点でも大事なこと
    だったのでしょうね。

    時代が進むにつれてゴミの量が多くなり、人間もヤワになってきました。

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