気仙沼大島 ボランティア物語その2

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東北道の一関インターを降りたのが深夜1時半ごろ。2度目の給油をして、あとは海に向かって一関街道をひた走る。1時間ほどで気仙沼の市街地に入り、コンビニで朝ごはん用の食糧を買った。大震災以降のフェリー乗り場になっているエースポート気仙沼へ車を停めて、出発時刻まで仮眠をとる算段である。

カーナビと景色を見比べながら、路地を幾つか曲がったとたんに通行止めの看板。右も左も冠水していて、津波に潰された無言の街が暗闇の中にあった。さっきまでの陽気さはどこへやら、モモちゃんは強張った顔でマスクを手渡しに走ってくる。船着き場はすぐ近くだけど、どれほど冠水しているのか暗くて見えず、取りあえずは安全策を取って先ほどのコンビニに戻ることに決めた。

満潮時の冠水
明るく電気の灯ったコンビニの端に車を停め、運転手以外は買い込んできたアルコールを飲み始める。朝の買い出しや逗子から700kmの道のりで疲れ果てているのに、みんなやたらとテンションが高い。冗談を飛ばしてカラ元気を振りまいているのは、ガレキとなった街を実際に見たショックを抑え込もうとする反動だろう。結局は一睡もできないまま、水が引いた道路を朝6時半ごろフェリー乗り場へと向かった。

気仙沼エースポートの駐車場
先に着いていたハミングバードのスタッフや東京のボランティアの方々と合流。私たちよりもっとテンションの高い野澤さんの顔にホッとして、そしてもう一人懐かしい顔に遭遇した。前回炊き出しに行った牡鹿半島で知り合いになった女子高校生だ。彼女は家を失くした被災者なのに、いつもニコニコと人懐こい。気仙沼大島へは私たちの手伝いに来てくれたそうで、おっくんと肩を並べて記念撮影が始まった。

フェリーが来るまで私は近所を歩いてみた。足元には満潮時に流されてきたシラスがピチピチと跳ね、倒れた信号機、打ち上げられた漁船、骨組だけになったタクシー会社などが港湾の臭いの中にある。この光景に囲まれてフェリーが発着し、島民たちの生活を繋ぐ足になっているのだ。

倒れた信号機
気仙沼エースポートの前1
気仙沼エースポートの前2 
そして7時20分発の「ドリームのうみ」が桟橋に着いた。広島県江田島市から無償で貸し出されたフェリーで、沖合7.5kmにある大島と気仙沼市を結ぶ定期航路便である。車両は全便予約制で20台しか載れないので、荷物を積んだ車だけがチケットを買い、私たちはハイエースにぎゅうぎゅう乗り込んで乗船した。

ドリームのうみ
出航すると右舷には、津波の被害をもろに受けた魚市場や製氷工場が痛々しい姿で並んでいる。カツオの水揚げ量が日本一の漁港が、まるで空襲にでも遭ったように全ての機能を失っているのだ。「復興までどれくらいかかるんだろう」と誰かが呟いたが、返事を出来る者はいなかった。

気仙沼漁港2
気仙沼漁港3
気仙沼漁港4

視線を沖と島影にそらす。3.11の地震さえなかったら、天国かと思うほど美しい風景だっただろう。本来なら風景写真を撮るはずが、カメラのファインダーに入るのは津波の残酷な爪痕ばかりだ。

やがて大島の船着き場が近づき、前方に現れたのは岸壁ごと波に打ち上げられたフェリーが2隻。さっきまで絶好調の喋りだったのに、「ああ・・」と言葉を飲み込んだオレ様は、周りのように携帯のカメラを向けることすら出来ない。おっくん、こうちゃん、まーくん、なおくん、ももちゃんも、これから上陸して待受けているミッションへの覚悟で硬直していた。

気仙沼大島へ着岸
ダメだよ、炊き出し軍団が暗い顔をしていちゃ。私たちは涙を貰いに来たのではなく、久しぶりの笑いと満腹感を届けに来たのだから。生きていくにはレクイエムではなく、♪上を向いて歩こう♪で行かなくちゃね。

先陣を切って走る野澤さんたちの車に連なって、陸に上がったフェリーのスクリューを眺めながら、私たちはゴールの大島小学校へと向かっていく。・・つづく。

大島汽船のフェリー

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