3年前の記憶と現在

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今日は3.11、東日本大震災の起きた日。パソコンの右下にある時計が14:46になったのを見て黙祷した。年月は経っても記憶は鮮明で、被災地からは遠く離れた場所にいても未だに恐怖心は癒えていない。

始まりは小さな物音。締め切りと闘いながら原稿書きをしている最中、ガラスが振動し始めたのに気付いた。地震かなと腰を浮かせているとだんだん横揺れが大きくなり、一向に止まる様子がない。ついに来た!と覚悟を決めたものの何をしたらいいのか思いつかず、とりあえず与六を抱きかかえて1階のリビングに駆け下りた。食器棚が倒れないように片手で抑え、大きく揺れる照明器具を眺めながら一人でキャーキャー声を上げるのみ。収まったと思ったらまた揺れて、これ以上激しくならないようにと願うことしか出来なかった。

外は早春の穏やかな午後。マンションの停電を知らせるブザー音だけが鳴り響いている。揺れが収まってからベランダに出て周囲を見回したが、誰の姿も見当たらず、いったい今のは何だったのかと不安が湧き起こる。非常用ラジオは雑音ばかりで役に立たないので、スマホのワンセグでテレビを見ると、安藤優子アナの緊張した顔が映り、震源地が東北であることを知った。市役所の災害無線からは津波警報のアナウンス。そして幾度も来る余震。

オロオロしているうちに日が暮れて、気付けば青白い月が空に浮かんでいる。電気と水道は復旧する様子がなく、前日に作ってあったカボチャの煮物を食べ、アウトドア用のランタンを灯して心細さを凌いだ。外界との接点はワンセグだけで、リアルタイムに流れる津波や火災の映像を呆然と見ているしか為す術がない。被災地の方々がどんな場所で夜明けを待ち、人生で最も長い夜を過ごしているかと思うと膝が震えた。

そして3年、あれから何が変わったのだろう。泣こうが笑おうが、人間の営みを乗せた時間は淡々と過ぎていく。私は相変わらず進歩がないまま、重ねていく歳に焦りがつのるだけ。今日も遅々として進まない原稿書きに頭を掻きむしりながら、あの日と同じ静かな夕方を迎えた。凝り固まった身体を解しにベランダに出れば、霞がかった水色の空は美しく、人々が暮らす家々を温めるように西日が照らしている。太陽にウインクしてどこかの窓がキラリと光った。

20140311
窓の一つ一つに人生があり、私もその一つの窓に生きているんだ。何気ない風景が「相変わらずほど幸せなことはない」と教えてくれる。こんな奇跡を戴いて生きていることに感謝して、さあもうひと頑張りしようかな。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    僕は自宅でTV見ていたので、東京が揺れた後数分して長期振動がきました。その後何が起きたかを知るにつれ、あまりの規模に茫然としていました。
    昨日は2:46に黙祷。またその時のことを思い出した。
    でも多くの方々には、『「思い出」ではなく現実なのだ』と想うと自分の力のなさにを思い知ります。

    時間は人の都合にかかわりなく進みますね。

    今年は三陸鉄道が開通する予定なので、行ってみたいと思っています。

    ただただ、ありがとう。

  2. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    「あまちゃん」ファンとしては、三陸鉄道には是非とも乗ってみたいです。
    愛する場所は遠くで想うのでなく、行ってみなくちゃいけませんね。

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