子どもの歌はデジャヴになる風景

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秋から続いたマンションの大規模修繕が終わりに近づき、鉄格子の檻みたいだった足場が片づけられた。開放的で真っ白になったベランダが嬉しいのは私だけでなく、縄張りを広げられる与六も狩猟本能復活。日の出前から鳴き始めた鳥たちを目で追って、「カカカカッ」と猫特有の威嚇をしている。

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ツツジが咲いて新緑が眩しく、もうすぐゴールデンウィーク。去年より冷え込む日が多かったせいか、やっと今ごろ季節がリニューアルしたような感覚だ。悶え苦しんだ締め切りもあと幾らかの手直しで完成を見るので、連休中は積み上がった資料の整理や大掃除に勤しむ予定である。

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詰め込み過ぎた本棚がすっきりしたら真っ先に入れたいのは、出版社から届いた音楽の教科書。小学校3年生と4年生、2学年に私の作詞した曲を載せて貰えたのは最高のプレゼントで、ページを開くと記憶の彼方から新学期の匂いがしてくる。

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今の小学生はどんな歌を習うのか見てみると、目次の最初に載っているのは文科省が定めた共通教材で、小学校3年が「春の小川」「茶つみ」「うさぎ」「ふじ山」。小学校4年が「まきばの朝」「とんび」「もみじ」「さくらさくら」。古くから歌い継がれ、これからも歌い継いでいきたい歌として「こころのうた」という標題が付いている。ちなみに「春の小川」の解説文は「この歌は、100年ぐらい前につくられました。春の日ざしをあびてながれる小川の様子がうたわれています。わたしたちも身近な自然を大切にして、いつまでものこしていきたいですね。」と、自然環境保護のメッセージだ。

 

都会の子どもたちは近くに小川なんてないだろうし、岸のすみれやれんげの花も見たことがないだろう。でも子どものときに歌で想像力を膨らませて疑似体験しておけば、大人になって偶然その風景に出合ったとき、初めて見たとは思えないデジャヴみたいな感覚で喜びが溢れてくるものだ。懐かしさには五感が伴い、記憶した年齢が幼ければ幼いほど刻まれ方は深い。色は鮮やかで、匂いも音も触感も頭ではなく心にくっきり残っている。

 

私の書いた子どもの歌も100年後に歌われていたら嬉しいなあと願いながら、未来のその時には🎵電車の窓から見える赤いやねは・・🎵の電車すら無くなっているかもしれない。壊さなくとも修理すればいつまでも使っていけるものが発明されたらいいのにと、のび太くんの心境。命に限りある人間たちが、それを使い継いでいけたらどんなに良いだろう。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    「三つ子の魂百までも」ですね。人の記憶に残る仕事は素敵です。

  2. より:

    初めてのコメント失礼します。
    いつも楽しみに拝見しています。

    さっそく娘(小3)の教科書チェックしました。
    お名前拝見して、感動してしまいました!
    毎日、一番星が見えるまで、公園で遊んでる娘。
    お友達大好きで、音楽大好きで、きっとこの歌も大好きです。

  3. より:

    何度もすみません。
    楽しくて楽しくてしかたがないこの毎日を、
    いつか大人になった娘が思い出す時、
    この詩が流れるのでしょうね。

    素敵なお仕事ですね。

  4. kaki より:

    ご無沙汰しております。以前「ふえはうたう」の再放送でコメントさせていただいたkakiです。
    先日小3になった子の音楽の教科書に「またあそぼ」を発見し、「またあそぼ」の記事にコメントしようと思っておりましたら、こちらの記事がアップされました。1つ上の子の去年の教科書には載っていませんでしたので、たぶん今年からですよね(そして上の子の教科書には「赤いやねの家」が)。私は25年前に聞いた曲ですが、今でも休日子どもと暗くなるまで遊んでいると、この曲を思い出します。偉そうに評論して大変僭越なのですが、3つのフレーズが出てくる順番が秀逸だといつも思います。どうか明日もいい日になりますように。

  5. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    お母さんのお腹にいたときの記憶を持って生まれる人もいるそうですね。どんな詞が書けるんだろう。想像力が膨らみます。

  6. yuris22 より:

    原様

    初めてのコメントをありがとうございます。
    教科書は後半のページの掲載ですが、お嬢さんが「また あそぼ🎵」と歌ってくれたら嬉しいです。一番星を見つけられる公園で遊んでいた情景も、思い出の中に鮮やかに残るといいですね。

  7. yuris22 より:

    Kaki様

    「また あそぼ」は今年からの掲載です。3つのフレーズまで覚えていて下さるとは、作詞家冥利に尽きます。主人公を人間ではなく「公園」にして時系列で書いてみました。今は公園の使い方に厳しいルールが増えたようですが、人も、犬も猫も、木も風も雨も・・みんなが自由に集える場所であって欲しいと思います。

  8. kaki より:

    ご返信ありがとうございます。
    毎日いろんな人が行き交い、遊ぶ子供たちの世代も移ろっていき、でも公園はいつでもそこにあって誰でも公平に見守っていてくれる…「またあそぼ」の公園にはそんなイメージを持っていましたが、それはきっと公園が主体になっているからなのだと、今、初めて気がつきました。織田さんの詩の優しさは織田さんの内面の賜と単純に思っておりましたが、それを表現する才能と技巧というものがやはりあるのだと、プロの深さ(というより織田さんの深さ)を垣間見た思いです。歌い継がれるには理由があるのだと、改めて思いました。
    四半世紀以上前(初公開時?)からこの歌や「赤いやねの家」を知っていることが今や私のひそかな自慢になっています。

  9. kaki より:

    連続投稿すみません。
    一番お伝えしたかったことが抜けてしまいました。織田さんの優しさが私がイメージした「人」だけでなく、犬や風にまで向けられていたことにも気がつき、いっそうこの歌が好きになりました。

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