こどもの日のセンチメンタリズム

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数日間続いていた晴天がちょっとお休み。フェイスブックに上がる友人たちの画像もトーンダウン気味で、午後からの太陽を待っているらしい。

カレンダーを見て今日は「こどもの日」だと気付き、鯉のぼりを探しにベランダに出てみた。🎵いらかの波と雲の波🎵は歌詞通りだけれど、🎵高く泳ぐや鯉のぼり🎵は全く見当たらない。そういえば旗日に日の丸を掲げる家を見かけなくなり、眼下の景色は時代の変遷そのものだ。

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「兄と読む一つ絵本や端午の日」 高田風人子

日本大歳時記の「端午」に出てくる俳句の中でいちばん好きな句。一人っ子の私は絵本も玩具も独り占めできたが、男の子を祝う節句には縁がなかった。風にたなびくカラフルな鯉の数は子だくさんの象徴。騒々しく喧嘩しては親に叱られる兄弟のいる家庭が羨ましくて、これまで書いた歌詞の一人称は「わたし」ではなく「ぼく」にすることが多かった。紀貫之が「男もすなる日記といふものを女もしてみむとするなり」と綴った「土佐日記」の逆パターンである。

男の子のセンチメンタルな心情を勝手に解釈して書いた歌。NHK東京児童合唱団のコンサート用に作詞した「ぼくの子どもが生まれたときに」は、大家族への憧れを明治時代からの時系列で詰め込んだ。菜の花畑や蛍の飛ぶ川が近くにあり、ひいおじいちゃんが一緒に暮らしている家庭は今の日本にどれくらいあるのだろうか。お父さんとお風呂屋さんに行って、近所のおじさんが背中を洗ってくれる日常は映画の中だけだろうか。

心が通じる誰かと一緒に、無くした風景を探しに田舎へ行きたいな。窓を開けて「草いきれ」の香りを浴びる列車も今はどこに行けば乗れるやら。子どものころに乗った寝台列車の朝が無性に懐かしくなった。

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