がんの緩和ケアに願うこと

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三寒四温が続き、渇きを癒す雨が降り、待ちかねた桜が咲く。春の訪れにワクワクするこの季節が、私には悲しみのリフレインになり心身が不安定になる。

 

今日、NHKスペシャルの『最期の願いをかなえたい~在宅でがんを看(み)取る~』を見た。
死が刻々と近づいている末期がん患者たちとその家族。
年老いた夫を気遣って自殺したいと思う寝たきりの妻、若くして余命1ヵ月の息子にどう接すればいいのかと悩む両親・・、緩和ケア専門の診療所を立ち上げた医師に密着取材したドキュメンタリーである。

 

末期がん患者に付き添うことはとても辛い。
2年前亡くなった私の恋人は、死の1週間前まで自ら車を運転して医者の門を叩き続けた。
辛ければ部屋に篭ったきりか、体調が良ければ外に出てしまう家長に、家族は戸惑った。
死に目も立ち会えなかった恋人は、彼の身体が冷たくなってしまったことが未だに理解できない。

 

まさか自分が?の末期がん患者に「もう諦めなさい」と誰が言えるだろうか。
金銭をむしり取る怪しい療法にも「こんなのインチキだよ」と怒りながら、奇跡を信じてこっそりと訪ねていく。
1ヵ月に200万円出せば助けてやると言った有名医師に対して、死を選びますとベッドを降りながら、涙がポロポロとこぼれる。

 

そして・・・宝物のような1日1日が過ぎ、ある日いきなり連絡が取れなくなった。

担ぎ込まれた面会謝絶の病室で、強い痛み止めに目をギョロギョロさせている当人は、「彼女を呼んであげるから」と慰める家族に対して、「こんなもの要らない!」と携帯電話を壁に叩き付けたという。
それでも本当は会いたくて会いたくて会いたくて・・・、友人達の計らいで病室に忍び込んだときには、子供のように泣きじゃくっていた。身の丈180cmのマッチョマンには、あと1年は持つと信じていた身体が、恋人に面目なくて情けなかったからだ。

 

2年前の春、2人で最後に見上げた洗足池の桜。周りは飲めや歌えの大宴会。
「これが最後かなあ」
「違うよ、来年も再来年も一緒に見るのよ」
あと2ヶ月後に命が途絶えることを知っていれば、医者に言われることなんか無視して、大好きなお酒を飲みまくっていただろう。
薬を飲むために神経質になっていた時間を、吐きながらでもヨットのティラーを握り潮風と語らっただろう。

 

やがて近いうち、あなたか私かが(日本人の1/2)が、がんで死んでいく時代になる。
死んでいくことが確実ならば、何がいちばん大切なのか。
病院食さえ喉を通らない身体をベッドに縛り付けることではなく、痛みを失くし、心理面や経済面でも死を迎え入れる準備を整えることではないのだろうか。

 

本人が亡くなった後だって緩和ケアは必要だと考える。それは「愛」に他ならない。
家族も友人も、映画『象の背中』のように陰の人間にだって、心のケアはとても大事だと思うのだ。死にゆく本人を取り巻く人たちがどれほど理不尽な思いと悲しみを抱え続けていくだろう。

 

春一番が吹いた。日にち薬は心に優しい。
彼が元気だった頃にカラオケで私に何度もリクエストした歌、中島美嘉の『桜色舞うころ』を、そろそろ歌えるようになるだろうか。

コメント

  1. しのぶ より:

    『桜色舞うころ』なんてきれいな題名でしょう。

    ゆりさんの歌声は、大切な方に届くかもしれないし、
    その方も、この歌を待っていらっしゃるかもしれない。

  2. こまちゃん より:

    「歌えない思い出の歌」ってありますよねぇ。
    酔っぱらったら歌えるのかも知れませんが、
    普段は聴くのも泣けてくる。。。

  3. yuris22 より:

    しのぶ様

    中島美嘉のバラードの中でも、特に好きな歌です。

    あと1ヶ月もすれば、桜色の季節になるんですね。
    できれば京都の桜を思う存分見てみたいです。

  4. yuris22 より:

    こまちゃん

    そういえば最近、こまちゃんの歌を聞いてないなあ。
    得意なのは何だったけ?
    いつも相当酔っ払った二次会のカラオケなので、記憶に残りません・・(^_^;)

  5. 素浪人 より:

    できたら親の最後を
    「家で家族と共に静かに迎えること」
    が出来れば・・・と願う。

    それが自分の子供世代に見せる義務だとも感じる。

  6. yuris22 より:

    素浪人様

    充分に人生を全うした祖父が亡くなる時、家族を追い出して延命措置を
    する病院関係者たちには憎しみさえ感じました。

    死んでいく人間と、不可抗力を受け止める人間たち。
    大切なのは冷静になり、「それ」から先を考えて話し合うことだと思い
    ます。

    生まれたときから「死」は遅かれ早かれ訪れることが決まっている。
    納得するための術を、私達は手に入れなくてはいけませんね。

  7. 駒(koma) より:

     はじめまして。先月、悪性リンパ腫で母を亡くした者です。

     あの番組、見ました。母に真実を告げられず、ぐっとこらえ続け看病した自分とダブって見えて、涙がとめどなく流れました。

     お棺に入る前、眠る母を見ると、まだ息をしているような顔をしていました。小さな骨壷に入ってしまっても、まだ母の死を信じることができない自分。普段は感情を顔に出さないのに、お通夜で号泣する父の姿。あの時は、悪い夢を見ているような気分でした。

     母は息を引き取る数日前に、朦朧とする意識の中で「お父ちゃん、サヨナラ」と言ったそうです。母はどこへ行こうとしたのでしょうか。

     看病しながら、いろいろな昔話をし、泣いたり笑ったり怒ったり。とてもいい時間を過ごせたと思っています。母と暮らした時間を思い出しながら、これからは生きていくような気がします。すいません、長くなりまして。

  8. yuris22 より:

    駒(koma)様

    はじめまして。
    辛い経験をなさってまだ日が浅いのですね。

    末期がんはエンドラインが見えている病気です。
    本人告知は賛否両論ですが、もし私だったら事実を知らせて貰い、飛び立つ日のために
    準備をしたいと願い出るでしょう。
    置いていく側・いかれる側のコミュニケーションは心行くまで交わしたいと・・。

    誰かが言っていました。
    死によって別れることは未来の出来事は無くなるけれど、思い出は生きていくんだよ。

    涙より笑いの数が増える日がくれば、空のお母様も安心なさるでしょう。

  9. より:

    こんにちは。「恋人」「末期がん」で検索をしていたらこの頁に辿り着きました。
    29歳、愛する人が末期がんの羽です。

    >>身の丈180cmのマッチョマンには、あと1年は持つと信じていた身体が、恋人に面目なくて情けなかったからだ。

    私の彼と重なりました。もとはラガーマン。マッチョの彼は自分が弱くなる姿をなるべく私から隠したかったのかも。遠距離の彼の連絡が途絶え、会社を休んで押し掛けた私の前に現れた彼は、心までボロボロになっていた。生活と病気と、追い込まれた彼はまるで生きるためにそうするように、子供のような彼・別の人格になっていた(統合失調症というのか)。好きな大きな車も運転できなくなっていて。

    去年の今頃、車で三時間以上掛けて、私の我儘聞いて天の橋立に連れて行ってくれたね。「私がこんなでなければ何の迷いもなくお前をもらいにいっていた」。そう大人の眼差しで言っていた強かったころの彼も思い出したりして。連絡が途絶える前、最後に見たのは大阪のお天気雪だった。キラキラ光って綺麗だった。

    そして今、失われつつある彼を前にして。
    あなたは動物がそうするように身を隠しながら静かに死んでゆきたいのか。
    それでも私は追って、愛を示すべきなのか。
    そうでないのか。

  10. yuris22 より:

    羽様

    今になってみて、後悔していることがあります。癌に蝕まれていく彼の身体にばかり気を向けて、ゆっくり会話をしなかったこと。私よりもっと大きな愛を持って、辛い決心をしたことに気付かなかったこと。私は大らかに、心のホスピスになってあげるべきでした。
    彼が空へ旅立ってから4年になりますが、目に見えなくても近くにいる気配を感じる時があります。守ってくれてるなあって思いますよ。交信方法を決めておけば良かったと、これもまた後悔ですが・・。

    羽さんにとって、今いちばん大事なのは彼の意思を尊重することだと思います。気持ちは必ず届いているはずです。

  11. より:

    温かいお言葉ありがとうございます。
    連絡が取れなくても気持は届いているはず…励まされました。

    彼と出会って5年が経ちました。私が24歳、彼が36歳の時です。その頃の彼は、40歳まで生きるのを目標に頑張っていると言っていました。そして今年40歳です。
    遠距離であり、1年に会えるのはたった数回でした。それでもその1回1回が今となっては宝物です。

    5年間、彼を失う苦しさ・自分の胸の痛みばかりを訴えて、彼にどれほどの安らぎを与えることが出来たでしょうか。彼はどれほど苦しんでいたのでしょうか。

    きっと私と会うその日には、きっと強い薬を飲んで、殆ど物が喉を通らない日だってきっとあったのに、私の前ではモリモリ食べて元気そうにしていた。
    何で辛い時には辛いと、弱音も全部受け止めてあげられるような存在にならなかったのだと後悔ばかりしています。

    でも、彼のことを周囲の友人や親にも殆ど離さず、一人抱えていくことにも正直疲れてきている自分もいます。普通に彼氏・彼女として楽しそうにしている同年代の友人たちを見て、何だか自分だけ取り残されていくようで…。普通の彼氏・彼女がどんな付き合いをするのか、どんなに楽しいものなのか、何だかわからなくなりつつある。

    彼が今きっと一番つらい時なのに。
    どうして良いのか分かりません。

    独り言のようになってしまってすみませんでした。

  12. yuris22 より:

    羽様

    会えるのが年に数回であっても、24歳からの5年は、女性にとって貴重な歳月ですね。でもどうか焦らずに。恋は何歳になろうと突然巡ってくるものです。

    一回りも年上の彼は羽さんに、自分の良い部分を見て欲しかったんでしょう。例え強い薬を飲んで無理していたとしても、好きな女の前で弱音をはけば、格好いい男でいられなくなります。

    何か手立てを打たなくては・・と焦り、いたたまれない毎日が続いていること、想像がつきます。私も羽さんと同様でした。まだ結論が出てもいないのに、思い出の曲ばかり聴いて泣いていました。

    どうか彼に対しては、涙より笑顔の数を多くして下さいね。「私はもてる女なのよ。先の心配は無用だわ」と、可愛くて逞しい女でいてあげて下さい。きっと安心してくれるはずです。

    思い通りにならないのが人生、神のみぞ知るが人生ですが、羽さんがおばあちゃんになった時、何もかもが懐かしい思い出になっていると思います。

  13. より:

    こんばんは。夏休みが来て、明日からはちょっと遠くまで一人旅に出てきます。自分を振り返り、立ち位置をきちんと見定める旅。

    ちょうど一年前の去年の夏休みは癌の彼と天の橋立に行きました。ゆり子さんの近くに住む私(三浦半島です)と、大阪に住む彼。会いに行く時は、まるで『大阪LOVER』のような気持ちで。

    病気と仕事できっと一杯いっぱいだった彼に、私は目一杯我儘を言って、「デートらしいデートがしたい」と天の橋立まで半ば強引に連れて行ってもらいました。

  14. より:

    橋立を渡る頃には雨が降ってきて、傘と傘の間の繋いだ手は濡れたけど、それでも私は嬉しくて、ずっと彼の手を離しませんでした。愛する彼と今ここを歩いていることが嬉しくて、私は今日世界で一番幸せなんだと思いました。すれ違う老夫婦が私の顔をみてニッコリ微笑んで、たぶん他の人から見ても私はとても幸せそうに見えたんだと思います。

    雨が大ぶりになって、川は氾濫するし、世間は大変なことになっていたけど、大雨の中を真っ暗な山道を走るのはとてもスリリングで、四苦八苦の運転席の彼を脇目に私は一人はしゃいでいました。彼とこうして普通の日を過ごせることが幸せだった。

    大阪に帰ると、彼はシャワーさえ浴びずに、ベッドに倒れこみ、泥のように眠りだしました。往復5時間以上の運転は身体にきっときつかったはず。天の橋立の帰り道も、私はまたゆっくり彼と歩きたかったけど、疲れたからと船に乗った。

  15. より:

    後日、家に帰り、天の橋立についてインターネットで調べていたら、「訪れた時に雨が降るとラッキー」との言葉を見て、私は無邪気に喜びました。
    あの日取った写真には、何枚も、私がちゃんとついてきているかどうかちょっと心配そうに振り返る彼の何気ない横顔が写っていました。

    あれから一年。
    彼はもう大好きな車を運転できません。
    私のことも忘れちゃう日が来るかもしれない。
    彼の家族も知らない私は、彼の携帯が繋がらなければ、もう何もできません。

    いつか「また生まれ変わって一緒になろう?」とふざけて話したら「やだ」といじわるそうに悪戯っぽく笑った彼。何気ない冗談でも、そこで「そうだね」って言ってくれていたら、私の今はもう少し違っていたでしょうか。

    彼はきっと来世もあの世も信じず、今を生きることだけに必死になっていた。それはとても厳しい道だったけれど。

    今日、たまたまつけたテレビ番組で、『大阪LOVER』が流れていて思い出しました。

  16. より:

    弱音ばかりになっていてすみません。
    でも、今私は正直これからどうすれば良いのか分かりません。彼のことを話していない家族には相談できない。彼の話をしたら、別れたほうが良いと、私のためを思って厳しく叱ってくれた友人の前では別れたことになっていてもう話すことはできない。

    上司や友人に、彼氏の話を聞かれて、いつも「募集中です!婚カツしてます!」なんていつもわざと言って、笑って見せていた顔とは裏腹に、心ではいつも泣いていた。愛し合う人はいるのに一緒にはなれない。

    今こうして彼と連絡も取れなくなって、胸が潰れてしまいそうな気持を一人抱えて、これからちゃんといつも通りの生活をしていけるのか自信がありません。
    生活のためには働かなければならいないけど、正直心がしんどくて、頑張れなくなってしまいそうな朝もあります。

    今こんな心の闇を抱えて、また普通の人のように普通の幸せを手に入れることなんてできるのでしょうか。

    あの人の最期が穏やかなものでありますように―。私のことを忘れてももうきっと苦しまなくてすみますように。

    旅に出てきます。

  17. より:

    「精神的にも経済的にも充実して、お前がすべてを私に預けても良いと思えるような日が来た時、私はきっとお前を迎えにいく。30になる前には迎えにいけるといいが。」

    出会った頃に彼の話した言葉。
    私ももう29になりました。あと一年で30。

    その日を待っていたけど、私は一人になりました。
    私はまた次の生き方をちゃんと見つけていけるだろうか。

  18. yuris22 より:

    羽様

    今は何をしても彼に結びついてしまう毎日だと思います。私は携帯電話にセットした目覚ましメロディにさえ反応して泣いてました。

    今はすっかり立ち直ったかといえば、心残りは沢山あります。でも神様の計らいか天国に行った彼の仕業か、不思議なほどに恋の訪れは沢山ありましたよ。彼らとは相性が悪くて長続きしませんでしたが、その後も手を差し伸べてくれる人は続いています。まだ若いんだもの、幸せはこれからです!

    羽さんは三浦にお住まいなんですね。私でよければ、はけ口になりましょう。周りの方々に本音を話せないなら、新しい友人たちに心底をぶちまければいいのです。旅行から戻られてお時間があるときに、ぜひぜひ逗子にいらっしゃい。陽気で涙もろい仲間たちをご紹介します。

    このコメント欄には書きづらいと思いますので、宜しければメールしてくださいね。
    whatshappened@yahoo.co.jp
    お待ちしています。

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