長生きにはMustからWantへ

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晩秋のグレイッシュな空のように、今日は体調が優れず、家でぼんやりしている。
持病が悪さをしているのだろう、仕事するには後ろ向きな倦怠感が襲ってくる。

 

IgA腎症という持病を得たきっかけは15年も前のことだ。遅れていた脚本をやっと提出した大晦日に高熱と血尿でダウン。診断は急性腎炎だったが、そのまま完治せず慢性化してしまった。

 

当時を振り返れば、よく生きていたと思う毎日。
詞を作る以外に、構成作家としてラジオのトーク番組を4~5本、テレビの音楽番組を1本が毎週のルーティンワーク。家から原稿をFAXしたら収録に向かい、それが終わればステージ構成を請け負っているアーティストのリハーサルに駆けつける。
映画評論もしていたので、配給会社の試写室に飛び込んで睡魔と闘う。
ファーストフードを胃に流し込んだ深夜、車を飛ばして鎌倉の実家に戻ったら、ミュージカルの脚本と歌詞を書く。
白々と夜が明け始める頃にウトウト。目覚まし時計に叩き起こされ、番組収録の締め切りに向けてワープロの早打ちという忙しさだった。

 

自分のためというよりは、関係者に迷惑をかけないための仕事。書かなくちゃ!の義務に負われていたと思う。

惜しくも昨日亡くなられた筑紫哲也さんは、自分が肺がんになった原因はストレスにあったのでは?と語っていた。
「簡単に言えば、Must(~ねばならない)が多すぎた。だからMustからWant(~したい)に変えればいい。でも、長年、僕を知る人は笑う。『お前は好きなことしかやらないじゃないか』と」。
(2007年11月27日『毎日jp: 特集ワイド:がんと闘う筑紫哲也さんに聞く』より抜粋)

 

思い出すのは、高熱に震えながら原稿を書いていた私を、父が怒鳴りつけた言葉。
「お前じゃなくたって出来る仕事じゃないか! さっさと辞めてしまえ。死んでからじゃ間に合わないんだぞ。」
反抗した末さらに心配の種を増やす持病を抱えてしまったけれど、好きなことをやってきた顛末なのだから仕方がない。好きなことは他人に代わって貰ったら意味がないのだ。

 

その後、脳卒中で倒れた父の仕事を手伝うブランクはあったが、今の私はゆったりとした物書きに戻っている。MustではなくWantな気分を待って書くのだから、執筆は遅く迷惑をかけまくる。

腎臓病は一度かかったら進行するだけと言われており、人工透析に至る不安は拭えない。しかし幸いなことに、進行を促進するストレスは今はない。
私が長生きできるとしたらそれは、楽しんで向き合える仕事と、ストレスを遠のけてくれる沢山の愛のおかげだろう。「一病息災」をしみじみ思う今日である。

コメント

  1. 風小僧 より:

    今日の仕事は終了しました。

    yurisさん、今の体調は如何でしょうか。
    確かに時間に追われる様な仕事ぶりを読ませて頂き、父親の一言は私にまで響いてきました。
    このブログでお知り合いになれまして事、顔を合わせなくても出会いがあったと思っている私です。
    ご自愛くださいませ。
    筑紫哲也さんのmustは(義務)としての「~しなければならない」、must notは強い禁止用語ですので、その引用には、体験でしか表せない言葉であったと思います。
    私も、wantであるような今後にしたいと思っております。

  2. yuris22 より:

    風小僧様

    お気遣いと応援ありがとうございます。
    体調はまだ復活とはいかず、夕べの日本シリーズも自宅で観戦しました。

    筑紫さんには映画の試写室でお会いしたことがあります。
    忙しい時間を割いてでしょうけれど、とても楽しそうにしてました。
    尤もその映画は『カーマ・スートラ愛の教科書』。
    Wantの範疇だったんでしょうね。

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