今年も残すところあと一日。車を飛ばして、老人ホームの父に会いに行った。惚けに伴ってますます我儘になり、要介護度5の車椅子。部屋に1人置いておくと呼び出しブザーばかり鳴らすので、昼間はスタッフカウンターの傍が指定席だ。
デイコーナーに移動して、お土産のケーキを食べさせる。あっという間に平らげ、今食べた分を忘れて「ケーキちょうだい」と催促するのは相変わらずだが、一つ驚いたことがあった。とろみをつけたコーヒーをスプーンで口に運ぶ時、手の震えが以前よりも少なくなっているのだ。
「上手になったね。こぼさないで飲めるようになったね」
褒めると上機嫌になった父は、ますます食べ物を要求。テレビもイヤ、お喋りもイヤ。本人いわく食べること以外に興味がないらしい。
車椅子を押して部屋に戻ると、棚の上にスケッチブックがあった。めくってみると幼稚園児が描いたような、顔の絵が並んでいる。その横には○○さん、○○さんと介護スタッフの名前があり、漢字も忘れていない。
たぶん父の絵を見たのは初めてだと思う。元気だった頃には経営とお金の勘定ばかりで、いたずら書きはおろか、地図さえ書いたのを見たことがなかった。
最もショックを受けたのは、昭和天皇の似顔絵。昭和3年生まれで、夜逃げした祖父の借金を背負い、戦後の高度成長期をがむしゃらに働き、儲けは不動産と愛人たちに注ぎ込み、思想や宗教、皇室にも全く興味がなかった男が、どうして今になって昭和天皇を描くのだろう。父の頭脳の中に広がる風景を、娘の私には全く見えていないのがショックだった。
そしてスケッチブックの後半には私の顔。「ゆり子」の名前が綺麗に綴れるまで、幾つも幾つも書いてある。こうして指先を使っているから、スプーンを持つ手が震えなくなったんだね。小さくなった父の背中を、生まれて初めて抱きしめた。
帰り際、エントランスのロビーには喪服姿の人たち。女性入居者の遺影と芳名帳のテーブルが設けられている。引き取られる宛てもなく、ここでお通夜をするのだろう。ドアが開くたびに吹き込む木枯しが、チラチラと初雪を送り込む。
ずっと先であって欲しいけれど、父にその日が来たときには私の家に連れて帰ろう。それまで頑張って働かなくちゃね。これまでの人生分のありがとうが込み上げる大晦日である。
コメント
今朝は小雪の舞い散る、寒い朝でしたね。
しかし、その寒さを暖かさに変える「感謝」で温まる朝でした。
私にとって「生きている」を問いつづけらる一年でしたが、すべてに感謝しています。
卯年は皆様に、とって良い年である事を祈念します。
的は逗子の素浪人様
新年おめでとうございます。
朝、外に出て「気」が変わったことに気づき驚きました。清々しくて柔らかくて、なにか良いことが起こりそうな予感を含んでいます。
日本人はやっと苦難の連続から抜け出すことができるかもしれません。
「感謝します」と「ありがとう」ですね。