毎月欠かさずに「変わりはない?」と電話をくれる友人からの定期コールが途絶えていた。
着信履歴に気付いてこちらからかけると、電波が届かない状態になっている。そしてやっと5月の初め、2か月ぶりに聞いた声は「俺、ダメになっちゃったんだよ」だった。
3月に皮膚がんが見つかって入院し、切除手術を2回。がんは取り切れず、ベッドの空きを待っていた国立がんセンターに放射線治療のために転院するという。風邪をひいたこともない頑丈なアウトドア男で、奴なら100歳まで生きると太鼓判を押せたのに、まさかとしか言いようのない出来事である。
家族のように大事な人がまた、がんになった・・。5年前に亡くなった彼が抗がん剤治療を受けた病院と同じところに入るとは、何と声をかけていいか言葉が出てこない。殺風景な病室で、食事には殆ど手を付けず、白いカーテンに囲まれて寝ていたパジャマ姿が浮かんでくる。私が訪ねていくと気丈に起き上がり、「お茶しに行こうよ」と19階にあるレストランへ連れて行ってくれた。
東京湾を一望できる窓際の席は、きっと花火大会では特等席。入院患者の特権を利用しなくちゃねと頷き合ったのは空約束で、夏までは身体が持たずに彼は逝ってしまった。もっとも国立がんセンターは長期の入院はさせてくれず、自宅療養に移らざるを得なかったのだけれど。
電話の向こうにいる友人が、淡々と病状について喋っているのを思わず遮った。
「あのね、がんセンターの最上階には景色が最高のスカイレストランがあるのよ。レインボーブリッジなんか手に取るようだし、きれいだし広いし、コーヒー1杯で粘っても怒られないし・・」
私が何を言いたいのか察したらしく、「見舞いに来なくていいからね」と先手を打たれる。
「大丈夫だよ。退院したら連絡するからさ。見舞いに来なくていいからね」
それが電話を切った時の言葉である。
抗がん剤治療が始まったら、吐き気との戦いになるだろう。適当な励ましを言う見舞客になど構っていられないかもしれない。だから訪ねて行くのは控えておこう・・というのは言い訳で、私はまたあの殺風景な病室へ足を踏み入れることが怖い。病人よりもずっとずっと意気地なしだ。
電話を貰ってから1か月。今日も携帯の着信履歴を見ながら、友人からの連絡を待っている。「快気祝いしてくれる?」と、おどけた声が聞けることを絶対に信じている。
コメント
今やがんは早期発見、早期治療で治せる時代になりつつあるとは言え、やはり身近な方ががんにかかるとショックなものですよね。
抗がん剤治療による副作用、先進医療費などの高額な医療費は大変なものだと思います。
放射線治療で治せるものもありますが、一般的なのは抗がん剤の使用、手術によるものが大半だと思います。
病気になってみて初めて健康の有り難味がわかるものですよね。
がんだけに限らず、日頃から出来るだけ野菜中心で減塩、脂肪の摂取を減らすなど自己管理も大事ですね。
marie様
がんは日本人の死因第1位ですものね。でも生活習慣病なのですから、marieさんの仰るように自己管理がきっちりしていれば、ある程度は防げるのかもしれません。
時々思うんですよ、もし私ががんを告知されたらどうするだろうって。それが進行がんだったら治療を受けるかどうか。生きていたい理由が、その時になったら分かるのかもしれません。
ゆり子様、
お心お察し致します。
以前コメントでお伺いしましたそのと申します。
わたしもガン切除から丸3年。4度目の桜を見ましたが、加療中の身、常に命の限りを心の隅においております。
おかげ様で楽しく笑って呑んで過ごしておりますが、命の覚悟なんて実は出来る訳ありません。
その分、笑い声は大きくなった気がしますね、はは。
どうせ死ぬならなんで生まれてくるんやろ…。されど命。喜びの数々の出逢い。
限りある命で生きて生かされている理由…。尽きないテーマですね。
どうぞ、ご友人様の荷物が軽くなり快気祝いに花が咲く、そんな日をお祈り致します。
ゆり子さんのお心にも労いの一輪の花を…ぁ、一杯の酒かな!?ふふ。ファイトッ。
その様
励ましの一献、ありがとうございます。
私も桜の花を見るたびに、「来年も見れるかな」の言葉を残して逝ってしまった人のことを思い出します。でも彼の命の分も生きているのだと思うと、仲間たちで大騒ぎしてお花見することが供養なのだと思うのです。おかげであくる日は必ず二日酔いですが・・
そのさんは、常に死の不安と向かいあいながら、人生を笑いと共に過ごしていらっしゃるのですね。私も見習って、友人の生きざまを応援していくつもりです。来年のお花見には加わってくれることを信じなくちゃ!ですね。