介護する側とされる側

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今日は仕事帰りに、老人ホームにいる父を見舞った。しつこくリクエストされるお土産として、ネギトロ巻を持って行くことが心苦しくてたまらない。常に健康状態に気を配ってくれるスタッフの皆さんに対し、家族のわがままが申し訳ないからだ。嚥下能力が弱った父にネギトロ巻は危険な食べ物。海苔、葱、酢飯は喉に貼り付いてむせるので、今年の春と同様に肺炎を起こす確率が高いからだ。

 

スタッフ・ステーションの横に設けられたカウンター。そこは食事やおやつの時間になると、箸もスプーンも使えない重度障害を持つ入居者たちが車椅子で肩を並べている。彼らをきょとんと観察しながら、父もその場所にちんまりと座っている。左半身が麻痺しているので右手しか使えないけれど、今や頼みになるその手さえブルブルと震え、せっかく箸で掴んだ食べ物を床に落としてしまうからだ。

 

そして楽しみなネギトロ。
私 「これ、食べさせてもいいでしょうか」
スタッフ 「美味しそうですよね。どうしましょうねぇ・・」
父の身体よりも遥かに細くて小さな、年配の女性スタッフ。偉そうにやってくる家族に気を使いながら、毎日毎日その何百倍も父の身体を心配してくれていることが、涙が出るほどによくわかる。ごめんなさい、何かあったら貴女のせいになるのに、本当にごめんなさい。

 

2センチほどの1カットだけならの許可をもらい、トロミをつけた混ぜ御飯にして父の口に運ぶ。「うまいなあ」と目を細めてくれるけれど、微量にスプーンに乗ったマグロが果たして美味しいのか。モグモグと機械のように動く口は、元気だった頃に寿司屋のカウンターでつまんだ巻物を、頭脳のほんの僅かな記憶領域が思い出させているのかもしれない。

あっというまに飲み込むと、「もっと」の催促。口の端からご飯粒がボロボロとこぼれていく。自宅で親の介護をしてる人たちは、悔しくて悲しくて居たたまれないこの状況を、三度三度どうやって乗り越えているのだろうか。

 

山口地裁で開廷された裁判員裁判。寝たきりの妻を13年に及んで介護し、疲れ果てて首を包丁で刺した夫が裁かれている。妻は約10日間の怪我ですんだというが、本当はそれで良かったのかどうか。夫に罪を着せずに死ねる方法が欲しかったんじゃないだろうか。

もし私の父だったら、口の中にネギトロ巻をいっぱいに詰め込まれて窒息死すれば本望かもしれない。死にたい人間に対して、気持ちは分かりながら死なないように見張っている人間。どちらも不本意で悲しい日々を送るしかないのが、今の日本なのだと思っている。

 

追記:
父を追い詰める継母に関しては、皆様に沢山のアドバイスを戴いて本当に感謝しています。継母の奇行は、今のところ小康状態です。その経過と理由は次のブログに書きます。

コメント

  1. marie より:

    介護、大変ですよね。
    少しばかりですが、祖父母で経験がありますが、本当にわがままでした。
    人は赤ん坊で生まれ、老いては子供に戻って亡くなって行くのでしょうね。
    する側もされる側も周囲に迷惑は掛けずにとは思っているんでしょうけど、現在の世の中の豊かさや楽さもあるのか老いてからは介護なしに生きられない人が増えてますね。

  2. yuris22 より:

    marie様

    面倒を見てくれる家族がいれば幸いですが、独居老人で介護施設に入居する資金もない人たちはどうしたらいいのでしょうね。身動きがとれないまま孤独死するとしたら、今の社会は姥捨て山です。長生きしたいという気持ちにはなれません。

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