医療は何を許してくれるのか

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花吹雪が舞う高速道路を走り、父のいる介護施設まで行ってきた。パーキングに車を停めて、着信音が鳴ったメールを確かめる。それは友人からの訃報で、8年間の入院生活を送ったお祖母様が亡くなり、霊柩車で教会へ向かっているという内容だった。

お悔やみの返信を送り、しばし車の中でぼんやり。歳を取るほど送る人が増えていくことに溜息が出る。

 

顔を笑顔にチェンジして、行き慣れたフロアに上がると、スタッフが車椅子を押してきた。父へのお土産は大好物の中トロ。「細かく切って、お醤油をかけて下さい」とお願いすると、申し訳なさそうに看護師が説明にくる。固形物を食べてOKだったのは先月まで。嚥下性(誤嚥性)肺炎のリスクを考え、食べ物は全てすり潰しているというのだ。

 

30分ほどかけて父の前に出てきた中トロは、正体の分からない流動食。そのままだと生臭いので熱を加えてミキサーにかけ、セメント色したペーストになっている。スプーンを黙々と口に運ぶ父に「マグロの味はする?」と聞けば「しない」の一言。
「おかしいですねぇ、ほら、匂いがするでしょ」
スタッフが私の鼻先にお皿を近づけたが、それは食欲をそそるとは言い難い異物だった。

 

それでも数分で食べ終えた父は、明日は継母がショートケーキを持ってくると盛んに喜ぶ。形があるものを食べたいんだ、フワフワのスポンジにイチゴが乗ったケーキを食べられたらそのまま死んでもいいんだと喋り続ける。

 

父が繰り返す嚥下性肺炎は脳卒中の後遺症によるもので、症状が悪化すれば確実に死が近づく。スタッフはきつく忠告するが、「本人が食べたいって言うのに可哀想じゃないの」と、隠れてネギトロ巻や煎餅を持ち込む継母を止めるのは不可能である。

 

病気になりベッドに縛り付けられた老人は、何のために長生きするのか。左半身が麻痺して食べることしか楽しみのない父。その楽しみを叶えてあげることで鬱病を紛らわす継母。夫婦の自由はどこにあるのか。たぶん2人とも好きなことだけして早く死にたいと思っているはずだ。

 

いったい医療は何を許してくれるのか、私の番になっても同じことが起こるのかな。
父と握手して別れた後、無言で自宅に車を走らせる。散り急ぐ桜の下を歩く家族連れを見るたびに、切なさがこみ上げる夕暮れだった。

コメント

  1. 猫太郎 より:

    切ないですよね…。猫が腎不全で療養食を病院に勧められた時、残りわずかな命なのに好きな缶づめを…と思い食べさせたものです。
    身体にはよくないのは百も承知でした。
    ただ好きな物を一杯食べてほしかったのです。
    父、母が病気になっても、残りの時間を好きな様に好きな物を食べてあげたいものです。
    もちろん私の時も…。

  2. しのぶ より:

    ゆりさん、こんにちは。

    自分の命が終わるのはちっとも怖くありませんが、
    「HOW?]と考えると怖くなるのはどうしてでしょうね。

    自然に逝けるって、現代ではとても贅沢なことなんですね~

  3. yuris22 より:

    猫太郎様

    猫にもクオリティ・オブ・ライフは必要ですよね。死が見えているなら、好きなことをさせてやりたいのが家族の気持ちです。
    うちの与六は明日が1歳の誕生日。お祝いに好物のササミスナックをあげようかと思いますが、味を思い出したら当分の間うるさいだろうなあ。でも嬉しそうな顔には負けてしまいますよね。

  4. yuris22 より:

    しのぶ様

    日本人の1/3は癌で死亡するそうですが、その割にはターミナルケアが遅れています。自分の死期を悟った人間に対して誤魔化すのでなく、身体の痛み、心の不安を取り除いてくれるホスピスがもっと作られるべきだと思います。
    今の日本は「姥捨て山」であるばかりでなく、「末期癌捨て山」でもありますね。

  5. marie より:

    余命や不治の病を宣告された時、自分や周囲はどんな対応をするのでしょう?
    好きな事、好きな物だけを食べるのがいいのか・・・?

    最近、雑誌で見つけた本で、ある著者が難病と戦いながら執筆をしていると言う記事を見た。
    その方の言葉で「人間、生きている限り誰にでも辛いことがあるけど、命を取られる程つらいことはないから、何でも前向きに頑張れる」(本当はもっと違う言葉だったかもしれない)と言った記事を見た。

    なんか、ものすごく人生を考えさせられるきっかけになったような気がした。

  6. yuris22 より:

    marie様

    私の父は痴呆が進めば「死にたい」とは言わなくなるかもしれませんが、天井を見たまま身体も動かせず、食事は胃チューブになり、ただ時間を費やすだけの存在になります。とは言え誰も命のラインを切る事は出来ず、宙ぶらりんな状態が続きます。

    『病院で死ぬということ』(山崎章郎)を読んでから、本人の意思に関係なく、患者を物体として見る延命治療について考えさせれました。
    本人が望まない余命はどうなるのでしょうね。私は日本尊厳死協会カードをいつも持ち歩いています。

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