プライドのある死について

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ご主人が亡くなって独り暮らしをしている女性が「私、いつもこれを持ち歩いているのよ」と、バッグから水色のカードを取り出して見せてくれた。
それは日本尊厳死協会の会員証。死が迫った時には延命措置を受けずに人間らしく死んでいきたいので、数年前に入会したという。彼女はある有名俳優の奥様で、ご主人がご存命の頃は一緒に劇団運営も行っていたのだが、今は箱根のマンションに引っ込んで慎ましく暮らしている。

 

私も独り暮らしの身。ある日突然、父のように脳卒中で倒れる可能性がないとも言えない。手術で命は助かっても、もし植物状態になったときには誰がスパゲッティ・シンドロームから解放してくれるのだろう。

 

ネットで日本尊厳死協会を検索して、入会案内を取り寄せてみた。パンフレットにはリビング・ウィル(生前発効の遺言書)の要旨が書かれている。

  1. 私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。
  2. 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
  3. 私が数ヶ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置をとりやめてください。

以上、私の宣言による要望に従って下さった行為一切の責任はこの私自身にあります。(日本尊厳死協会リビング・ウィルより引用)

 

正会員の年会員は2千円。生命維持装置にかかる費用に比べたら微々たる金額である。入会申込書に住所・氏名を書き込みながら、宣言書の登録方法についての案内が目に留まった。
宣言書を協会に送るとコピー2通が返送されてくるので、1通は自分が保管し、もう1通は近親者など信頼できる人に所持してもらうようにと書かれている。少子高齢化が進んでいく日本、もう1通を誰に所持して貰えばいいのかと困る高齢者も沢山いるだはずだ。誰にでも必ずやってくる最後の瞬間に備えて、遠くの身内より近くの他人を持つことは重要であろう。

 

決めておくべきは、人生の美しい仕舞い方。「仕舞う」という言葉には「使用したもの、大切なものなどを元の場所や入れ物などの中に納める」という意味もある。長年使用してきた大切な命だからこそ、生まれる前にいた場所に戻っていく時には、自らの責任で自らの最善を尽くしたいと思っている。

コメント

  1. marie より:

    プライドのある死ですか。
    まぁ、私はどうせなら、周囲に迷惑をかけずにコロッと逝くのが理想ですが(笑)
    死で思い出したんですが、映画「おくりびと」ものすごい反響でしたよね。
    私も観ました。とても感動し泣きました。
    けれども、笑を取る場面もあり、アカデミー賞をとっただけのことはあるなぁと思いました。
    人生をも考えさせられる映画でした。

  2. 素浪人 より:

    「闘病」という言葉はいつできたのだろうか。誤解を恐れず言えば、「病」は敵なのか。
    私も生き切る為にジタバタしたいとは思う。でも、「死」は怖くない。

    きっと種々の思いが御有りでしょう。それは私も同じです。

  3. yuris22 より:

    marie様

    「おくりびと」はまだ見てないんですよ。光TVのビデオサービスに入ったら、即見ようと思っています。泣いて笑って人生を考えさせられると聞いただけでも楽しみです。

  4. yuris22 より:

    素浪人様

    私も「死」は怖くありません。不思議なことに最近、墓地も怖くなくなりました。人生のAからZまでを経験した先輩たちが眠っているんだなあと思うと、ご苦労様でしたと声をかけたくなります。

    作曲家の三木たかしさんが亡くなって、思うところはいろいろ。不肖、私も頑張って詞を書き、歌という子供たちを沢山作ってからご苦労様の時を迎えたいと思います。

  5. 大熊ねこ より:

    最愛の祖父を亡くし、それによって考えた事は・・・一人でも自分の死を悲しむ人がいる限り、その人の為にも死ねない。。と。
    祖父の死に‥怒りを感じるほど悲しんだ私に生まれた考えでした。
    まぁ‥祖父も好きで死んだんじゃないのに孫に怒られて・・・ははっ(;^_^A

  6. yuris22 より:

    大熊ねこ様

    介護施設にいる父は半身不随になってボケまで加わり、「迷惑かけて済まないな。早く死にたいよ」と時々つぶやきます。私は「何言ってるの。生きてるからご飯もおいしいのよ」と意味不明な励ましを返しながら、心の中では私が父の立場だったら・・と考えます。

    管理されながら生命を繋いでいるだけの生活は、楽しいはずもありません。私はぎりぎりまで頭も身体も元気でいて、綺麗なおばあちゃんとしてポックリいくのが理想です。でも理想通りに事は運ばないので、もしもの場合に備えて尊厳死協会に入ることにしました。明日交通事故に遭うかもしれませんしね。

    お孫さんに怒られた御祖父様は、きっと天国で幸せをいっぱい感じていることでしょう。大往生であったことを想像せずにはいられません。

  7. 703 より:

    ゆりちゃん、こんばんは。

    先日、『健康だけが取り柄なの』と日頃そう口にしていた友人が脳梗塞を起こし入院をしました。

    また別の友人は、犬の散歩に行き脳幹出血を起こし、2年の間植物状態で今年の3月に肺炎で還らぬ人となりました。

    人の身はいつ何が起るか分からなく、また人は一人では死ねないのだと そんなことを考えされられています。

    死ぬのは怖くないと言ったら嘘になるけれど、家族友人には、できるだけ迷惑をかけたくない と強く願っています。

    私も日本尊厳死協会のパンフレットを取り寄せ、入会することにしました。

  8. yuris22 より:

    703様

    歳をとるにつれて、だんだんと歯が欠けていく如く、親しい人が亡くなっていきます。It’s my turn. やがて自分の番が来たときに、薄れていく意識の中で「こういうことだったのか!」と気付くのでしょう。

    >人は一人では死ねないのだと・・

    その通りですね。生まれるときも死ぬときも誰かのお世話になります。だからこそ「人」という、寄りかかる形の字が生まれたのでしょう。せちがらい世の中ですが、せめても愛する人と寄りかかりながら幸せでいたいですよね。

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