「長生き」と「生き甲斐」との両立

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6月に入ったばかりなのに関東では真夏日の暑さ。友人から熱中症で入院したとメールが届いた。高齢者の域ではないのに肺炎まで併発したとは心配であるが、朝食の写メを送ってくる様子では体調が復活したらしい。これを機に煙草をやめたら?と返信しておいた。

 

そんな私も会社の決算が終わると同時に腰痛が復活。サポーターを巻くと汗ばんで痒くなるので、痛み止めを飲んでしのいでいる。「筋力をつけなきゃ駄目だよ」と主治医に教えてもらった体操をしながら、医者や薬に頼るのでなく自力で治さなきゃいけないのは分かっているけれど・・。

 

そんな折に昨晩、NHKスペシャル「シリーズ日本新生 日本の医療は守れるか?~”2025年問題”の衝撃~」という番組を見た。団塊の世代が後期高齢者に達する2025年以降は、病院にかかる患者が急増し、医師不足とともに医療費が高騰すると予測されているのである。社会保障財政のバランスが崩れることを踏まえ、国は盛んに「病院から在宅への転換、地域ぐるみでの介護」を図ろうとしているが、先の不安はてんこ盛り。都市部は独居高齢者が置き去りにされる「姥捨て山」となるリスクを孕んでいるのだ。

 

病院が混みすぎて機能低下しないためにどうすれば良いか、番組では医師や有識者、芸能人などによる討論が行われた。その中に「メタボや喫煙者、飲酒者、成人病患者には医療費を上げるなどのペナルティを課せばいい」という意見があり、みんなが首を縦に振っていたが、お酒が大好きな私としては何だか腑に落ちない。「医療費を上げれば病院には行かず、節制した生活を送るようになる。数値が下がったらペナルティを無くせばよい」という理屈が、老後の生き甲斐を奪うように思えてしまったからだ。

 

11年後の自分を想像してみる。身体から悪要因を取り去り、インターネット中毒と飲酒をやめて一人暮らし。その頃にも与六が隣にいてくれれば良いが、天国が近い老猫になっているだろう。先に旅立たれてしまったら、残された私は何を楽しみに生きるのか。そもそもなぜ100歳を目指して長生きしなきゃいけないのか、根本的なことが分からないのである。

 

全く使ったことがないまま、毎月1万円近く払い続けている医療保険が疑問に思えてきた。ピンピンコロリじゃなくても、行政のお世話にならないうちにコロリと逝きたいのが本音だけれど、その時は愛する与六と一緒でありますようにと神様にお願いしておこう。

 

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コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    昨年12月、伯母がまさにピンピンコロリで亡くなりました。前日は日常を過ごし、いろいろと楽しんで、夕飯を食べ、お風呂に入り、翌朝、、、。
    やっぱり「生き甲斐」ですよね。
    今の医療は「死ぬことを許さない」傾向があると思います。でも人は何れなくなるので、その時にその人が後悔をしない死に方を支える事が大切と思います。
    2月に亡くなったオヤジの「ケンチャン、ありがとうようよ」の言葉が時々頭を過る。

  2. つかえこと、つかえびとです。 より:

    はじめまして。

    凄く為になるブログを拝読させて頂きました。ありがとうございます。
    私は葬儀についてのノンフィクション物語を、アメーバブログで投稿させて頂いております。

    又伺わせて頂きます。ありがとうございました。

  3. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    私は死にかけたことがないので分からないのですが、その時が来たら万事休す、観念した境地になるのかなと思っています。むしろ生が終わった先に何があるのか見てみたい、インディアンの死生観かもしれません。

  4. yuris22 より:

    つかえ様

    読んで戴いてありがとうございます。葬儀のノンフィクションとは「おくりびと」みたいですね。いつか自分も主人公になった時、その様子をどこから見ているのか気になります。

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