鬱病とアルコール依存症と・・

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都内での打ち合わせの帰り、行きつけの居酒屋に寄った。原稿書きの締め切りを抱えているのに長居してしまったのは、常連客が酔って告白した言葉だ。
「息子は鬱病なんだよ。母親を刺し殺して俺も死ぬ!と脅してくるんだ。」
2名の生命がかかった非常事態である。

 

実を言えば私の身内にも同病の人物がいる。父の奥さんであり継母。彼女は愛人だった時代から20年かけて私の実母に嫌がらせを続け、念願だった妻の座を手にした。
建てた豪邸は敷地150坪の8LDK、向かいにはゲストハウス、駐車場にはベンツ3台。毎日デパートの外商を呼び、袖も通さない服や着物を家中に吊るした。しかしやっと手に入れたはずの亭主は、別の愛人を作って週1日しか帰ってこない。それでも遊んでいられたうちは良いが、父が脳卒中で倒れたことにより生活は天地逆転。介護施設と賃貸マンションで別々に暮らす事になり、継母は鬱々と呑んだくれる毎日を送っている。

 

鬱病とアルコール依存症が重なると手がつけられない。
「飛び降りて死んでやる」「私をこんな目に合わせた奴を今から殺しに行く」等々、手当たり次第に脅しをかけまくり、父の枕元で泣きわめく。介護施設のスタッフはオロオロして「実は私たちにも『死んでやる』と言ってくるんです」と困り果てている。止めさせようと電話しても、呼び出し音はずっと鳴り続けるだけだ。

 

そんな鬱病患者をどうしたら良いのだろう。本当に死ぬかもしれないし、恨みに思っている人たちを刺し殺しに行くかもしれない。しかし私が子供の頃から、夜中に何度も無言電話などの嫌がらせを続けた悪女だ。因果応報と突き放すのか、弁護士に相談するのか、それともマザー・テレサのように抱きしめるのか。

 

そんな折り、要介護度5である母親(94歳)を介護している作家・連城三紀彦さんのケアノートを読んだ。胃潰瘍になり、執筆活動を休止してでも付き添っているという。
「母は目があまり見えなくなり、耳もすっかり遠くなりました。だんだん赤ん坊に戻っていき、最後には『無』になります。そう考えると、母のことをいとおしいと思えるようになってきたのです。」

 

最後には「無」になるという言葉は禅語のようだ。いつか無になるからこそ、形あるうちに大切にすべきなのか。神はどうしてこんなに複雑な課題を下さるのだろうと悩みながら、物書きへの題材提供かなと苦笑い。私小説の最終章は・・・、誰にも心の春がくることで結ぼう。

コメント

  1. ツネ2 より:

    依存症まではいってないし、鬱気味な時もあるけど週末海に浮かんでいる時にすべてを潮で洗い流すようにしてますよ。
    最終章、楽しみにしています。

  2. yuris22 より:

    ツネ2様

    コンクリートの箱にいると、人間は五感が失われていきますね。感じるものがないから、内へ内へと孤独の中に入り込んでしまう。
    今日はランチを食べに行ったついでに、桜のつぼみを観察してきました。あと3週間すれば開花して、私たちを幸せにしてくれます。桜の木1本だって自然の力は偉大です。
    最終章はやはり春でなくてはいけませんね。

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