人生を共に歩む住まい

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電車が東戸塚で停車している間、線路脇にそびえる建築中のマンションを眺めていた。側面には事務所テナント募集の大きな看板。この不況の中でどれほどの問い合わせがあるのだろうと他人事ながら心配になる。

分譲マンション

私の実家は鎌倉の一軒家だったが、出戻った時以外は、都内幾つかのマンションを移り住んだ。田園調布、馬込、自由が丘、碑文谷、目黒、恵比寿・・、今は初めて自分で購入した逗子のマンションに住んでいる。

過去に住んだそれぞれの間取りは今も鮮明に覚えているけれど、そこで暮らした思い出は断片的でしかない。

入居して家具や備品を揃えるまでのお楽しみが終われば、中間をすっ飛ばして、重たい段ボール箱を積み上げる引っ越しの記憶に飛んでしまうのだ。
ひんやりとした都会の、養蜂箱みたいなコンクリートの箱。終の棲家とするほどの愛着が持てなかったのがもしれない。

昨日、ドイツ人建築デザイナーであるカール・ベンクス氏の卓話を聞いた。
パリで建造物・家具の復元・修復を学んだ彼は、日本の木造家屋に強く惹かれ、1993年には新潟県十日町で築180年の古民家を購入して再生に着手した。大きな萱葺き屋根も10人の職人が1ヶ月かけて仕上げた自慢の自宅だという。

古民家

2001年に「新潟木の住まいコンクール」入賞。20007年には「第2回安吾賞 新潟市特別賞」を受賞し、地元にとけ込みながら集落の再生プロジェクトを手がけいる。
古民家の屋台骨となる柱や梁は出来る限り残して、何百年も生きる家として再生させるのだ。

そんなカール氏の好きな言葉は、
「古い家のない町は思い出のない人と同じです。」(東山魁夷)

今の住まいは築17年。マンションではあるが救いとなるのは、小高い丘の頂上から海と緑と住宅地を見下ろす「天空の城」みたいなロケーションにあることだ。
夜には家々に灯った光を見ながら、一つ一つの窓に人生があるんだなと暖かくなる。どうかこの景色がビルの群れに変わらないように、私の人生もプラスして見守っていこう。

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コメント

  1. 風小僧 より:

    「古い家のない町は思い出のない人と同じです」は同感です。
    私は岐阜県ですが、近くには美濃市があります。「うだつの上がる町」梲こそ何百年もの家屋にしかないものです。そして郡上市・高山市・白川村など古い家屋や町並みが残る場所があります。年老いてから引っ越したいと思っています。

  2. yuris22 より:

    風小僧様

    岐阜には大学生の頃、造り酒屋を営んでいる友人の家を訪ねたことがあります。
    何世代にもわたる旧家で、どっしりとした酒造には歴史の重みがありました。

    跡継ぎがなく、友人の代で閉鎖してしまったと聞きましたが、あの建物はもう残っていないでしょう。
    今は写真の中だけで懐かしむ風景です。

  3. marie より:

    yuriさんはとても高級な場所に住んできたんですね。
    私は、生まれも育ちも田舎暮らしで、決して高級ではない所に住んでます。
    それでも、社会人になって早18年。子供の頃に比べたら、全然、まともな暮らしをしていると思います。
    すごく裕福ではないけれど、こうやって、キーボードを自宅で叩き、コメントを書いている自分が居る。
    顔は見えないけれど、yuriさんと出会えた事がとても幸せな事です。

  4. yuris22 より:

    marie様

    家のサイズは別として、住んできた場所は高級だったかもしれません(^_^;)

    お暇がある時に読んで頂けたら嬉しいのですが、私の引越し歴について昨年の5月に「15回目の引越し」という日記を書きました。無一文になった父母と田舎から夜逃げしてきた時の話です。

    身を粉にして働き続けた父のおかげで、私は都内のマンションを提供して貰いましたし、自分で部屋を借りた時も、聞こえの良い場所に住んでいたと思います。

    選んだ場所はどれも東京都の中央よりも南の方。
    偶然にも数年前、運勢学に長けた方に「あなたが住むに向いている場所」として薦められた所ばかりです。ご先祖様の指南だったのでしょうか。

    おかげで今、私もmarieさんをはじめとして、沢山のお友達ができた幸せを授かっています。
    ありがとうございます!

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