昨日に続いて、昔懐かしい写真シリーズ。
1960年代だったか、銀行の支店長を辞めた父は、東都日産のセールスマンをしていた。
その事情については、5月19日の記事「15回目の引越し」に記してある。
経歴に傷がついても、もともと車が大好きだった父にとっては嬉しい職場。
ダットサンが列を連ねたツーリング写真などが、古いアルバムに綴じられている。
飛び込み営業で駈けずり回り、セールス売上トップとなったご褒美は・・。
昇給でも昇進でもなく、父が望んだのはダットサン・フェアレディと数日の休暇。
もちろん購入代金はローンで払ったが、発売日よりも一日早い納車を希望したのである。
Wikiで調べてみると発売日は1962年10月。下記のデータがある。
『輸出用のDATSUN 1500(SPL310)に加え、日本国内向けモデルのフェアレディ1500(SP310)発売。直列4気筒 G型エンジン(71PS/5000rpm)を搭載。
横向きの後部座席が備わる3人乗りであった。』
写真に写っているのは、この時点でまだ日本に1台しか走っていないフェアレディ。
水色のボディに合わせて、助手席に座る母には水色のワンピース、水色のスカーフを着用させ、このあとすぐ故郷の愛媛に凱旋旅行に出かけたそうだ。
コンバーチブルやカブリオレという呼び名でなく、オープンカーだった時代。
風を巻き込みながら飛ばす故郷への道は、人生の記念日となる自慢の休暇だったに違いない。
コメント
か、かっこいい・・・
織田さんのかっこいいのは、遺伝子のなせる業ですね。
龍について、メール差し上げました。ご笑読ください。
ブログにコメントさせていただくのは初めてです。
こちらでも、よろしくお願いいたします(^_^)v
記事も楽しく拝見しましたが、僕は写真の後ろに写っているクルマに曲げ引かれました(ダットサンじゃなくてすみません(^^;;)。
このいすゞベレットって、僕の父が大好きだったせいもあって(結局免許を取らないまま終わってしまいました)、僕が初めて覚えたクルマなんです。
いまは乗用車をやめてしまいましたが、その頃はトヨタや日産に負けないメーカーだったんですよねぇ。
ちなみに僕が免許を取って初めて乗ったクルマは、ベレットの後継?の117クーペというクルマでした。
長々とすみません。
なんか typo が・・・(^^;;
>クルマに曲げ引かれました
曲げ、はよけいです。なんで、こんな文字が?(汗
引かれる、も、惹かれる、が正しいかな?
すみません(^^ゞ
すばらし・・・
S30年代ですね、日本の良き文化が・・・なつかしい。
モーターリゼーションの本当の始まりの時代とは言え、飛び込みセールスでTOPを取るのは、色々な思いがあっただろうなぁと共感します。
実は、ちょっと昔 短い間でしたが、車のセールスをやりました・・・それを思い出します。
懐かしいなぁ・・・。
3人乗りのフェアレディ、あったんだよね。
学生のとき、中古の2000に乗っていたことがあります。
父上、カッコいいよ!
michael様
私はともかくとして(^_^;)、父は相当な新し物好きだったと思います。
今は写真の中でしか知ることは出来ませんが・・。
Shin様
いすずべレット。確かお隣の車だったと思います。
当時は路駐どころか青空駐車もオッケーな時代だったようです。
我が家は日産派で、初代シルビアにも乗ってたらしいです。
詩人たそがれ様
>飛び込みセールスでTOPを取るのは、色々な
>思いがあっただろうなぁと共感します。
父の友人から聞いた話によると、免許を持って
ない人の家にも飛び込みセールスして、トラッ
クを売りつけたとか。
買った方は初めて運転したその日に、ぶつけて
廃車寸前になったそうです。
豪快な時代だったんですね。
亀吉様
3人乗りで、横向きの後部座席っていうのが
変わってますよね。
それにしても亀吉さんは、免許持ってたんだ!
>豪快な時代だったんですね。
そう、無謀とも言えます、事故死者数を見れば・・・
でも、多くのご遺族に申し訳ありませんが
時代の変化の過程と思います。
「便利な道具」
人間にとって、幸福か、凶器か・・・?