守護霊の声が届く条件

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目に見えない力に守られていると感じることがよくある。地震が来ることを教えてくれたり、火災がおきる店の予約をキャンセルさせたり、トラブルで停止する一本前の電車に乗せてくれたり、迫った危機から遠のけてくれるのだ。
その力とは私の守護霊なのだろうか、頭の中に響く「声」の主は特定できないけれど、メッセージに外れはない。

しかしどんなに悪戦苦闘しても「声」が聞こえない時がある。「助けて」と叫んでも通じない。大概は妬みや悲観、憎悪といったネガティブな思考に支配されている時だ。
その理由をひも解く言葉を、高級指導霊のメッセージが綴られているという『シルバーバーチの霊訓』に見つけた。

「いつも明るく楽天的で愉快な気分を忘れないようにしてください。うなだれてはいけません。背後霊にとって最も働きかけたい雰囲気は、陰うつさや落胆や絶望感の無い状態です。そうした陰湿な感情はあなたのオーラを包み込み、背後霊にとって厄介な障害となります。」

「人間は地上生活の間に何度か暗い陰の時代を送らねばならないようになっているのです。その陰の中に入ったら、それは人生の一部であって全部ではないことを自分に言い聞かせなさい。陰は太陽の光があるからこそできるのです。あなたの目には見えなくても太陽は輝いているのです。」
(『シルバーバーチの霊訓』総集編より引用)

自分で自分に負のバリアを作ってしまうと、太陽の光は届かない。周りから見れば何が悪いのか一目瞭然なのに、本人だけはモグラのように穴を掘り続ける。深く土中に潜ってしまっては、友人からも守護霊からも手が差し伸べられない暗闇に行ってしまうだろう。

地上の「声」であるマスコミが振りまく悲観論にマインドコントロールされている現在。行き過ぎた取り越し苦労は国民全体の自己暗示となり、大地震や大恐慌に繋がりかねない。

脅かしの「声」は幾らでも耳に入るけれど、守ってくれる「声」が届くには条件がある。きっと良いことがあるさと笑い飛ばして進むこと。前に進もうとしている人を助けてあげること。こせこせした存在にならないこと。
極寒を乗り越えた後に巡ってくる春を心待ちにして、プラス1ポイントを心がける今日としよう。

コメント

  1. スズセン より:

    はじめまして、スズセンです。なるほど、シルバーバーチのお話しで気づくことができました。いつもポジティブが大事なのですね。ありがとうございました。

  2. yuris22 より:

    スズセン様

    いらっしゃいませ(^_^)
    まず最初に気(エネルギー)があり、それが目に見える現実を形作るというのがスピリチュアラーの考え方です。人生は両極性から成っていて、ポジティブとネガティブは同じコインの表裏。作用と反作用のどちらを使えば気が高まるかは一目瞭然です。
    時にはネガティブを発散させるため思い切り涙することも必要ですが、それは一過性のもの。涙の後の笑いで、コインの表側はますます輝きを増すのではないかと思っております。

  3. marie より:

    目に見えない力に守られているかどうかなんて考えてみた事がないかもしれません。
    ただ、とても不思議だった経験があります。
    私の祖母は私が高1の時にくも膜下出血で亡くなったのですが、祖父母っ子だった私は二十歳になるまで、祖父母の寝室(兼仏間)で寝ていました。
    朝に目覚めると、いつも決まって祖母の写真の方に布団がずれているのです。私は「ばぁちゃんがいつも布団を引っ張っている」と思っていましたが、気のせいだったんでしょうか?あと、もう一つは高校の授業が終わると、毎日祖母のお見舞いに病院へ行くのが日課だったのですが、どうしても疲れて行かずに帰宅すると頭痛がして、祖母の所に朝一で寄ったら頭痛が治まったと言う事がありました。
    祖母は私にとって母親代わりの存在。
    とても大事な存在だったんですね。私が祖母を求めていたのと、同じで祖母も私をいつも気にしていたんでしょうね。

  4. yuris22 より:

    marie様

    私も祖父母っ子だったのですよ。祖父は17年前、祖母は3年前に亡くなりましたが、今はお墓参りに行って天国の二人と話をします。
    以前『お墓参りとアゲハチョウ』というタイトルで書いた日記に、お墓参りに行くと蝶が飛んでくる話を書きました。肉体は無くなっても魂は無くならないのでしょうか、「いつも見守っているからね」と挨拶してくれたように感じました。

    もし私の順番が来て空に旅立った後も、子孫に対して同じことをするかもしれない。そう考えると不思議ではない現象のように思います。

  5. かば より:

    友人のお父様のお通夜の前日、読ませて頂きました。
    元旦に事故で急死されたお父様の死に心を痛めているであろう友人に、「言葉」を届けたくて引用もとの本を購入しました。
    しかし、「本」の言葉よりゆりさんの言葉の方が素直に響くので、失礼ながらアウトプットしてそのままゆりさんの言葉を友人に贈りました。
    昨晩、その友人からメールが来ました。
    「ブログを読んで明るい光が見えました。大きな流れの中で私たちは生きているんですね。」と
    忙しい彼女は、告別式の翌日から走り回っています。
    張り詰めて、悲しみに包まれた彼女が少しでもホッとできるようにゆりさんの言葉を勝手に拝借させて頂きました。
    事後で申し訳ございませんが、お許し下さい。
    そして、ありがとうございます。

  6. yuris22 より:

    かば様

    ご友人のお父様のご冥福をお祈り申し上げます。
    そして私のブログを使って頂いてありがとうございます。

    拙い私の言葉が少しでも支えになってくれたとは、物書き冥利につきます。何度も失敗して泣いて歩いてきた道、後から歩く人のために石ころをどける作業をしているのだと自分では思っているのです。
    頂いたコメント、私にもプラス1ポイントがあったと感謝します。

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