捨ててしまえる3年の贅沢

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沈丁花が香り、こぶしの花が舞い始めると、卒業式のシーズンだ。黒っぽい服装が行きかう街に、はかま姿や振袖の女子大生たちが華やかな色彩を連れてくる。

私の通った女子大はミッション系。卒業式にはグレーの制服の上にマントを着て、房飾りの付いた帽子を被るという堅苦しい服装だった。ところが中身は見栄の張り合いで、薬指にエンゲージリングをはめ、父兄席には婚約者が座っているのも珍しくない光景。お嬢様の結婚組か、一流企業への就職組か、バブル期の恵まれた時代だったと思う。

時は流れ、今春卒業予定である大学生の就職内定率は、景気後退の影響で5年ぶりに前年を下回っているそうだ。袴を脱いでリクルートスーツに着替え、また月曜からは就活に走り回る女子大生も多いことだろう。いっそ婚活に励もうとしても、経済力の低下した男性が増えればそれも難しい。何をしたらいいの?と宙ぶらりんな状態は居心地が悪い。

最近お気に入りの本、ヨゼフ・パイオンの『おとなのひとにいってほしかった24のこと』(祥伝社)に、『「3年間くらいは捨ててしまいなさい」といってほしかったです』の一節がある。お借りして抜粋してみよう。
「若いときの2、3年間なんて今思えば本当に一瞬の出来事で、ないに等しいものでした。そのないに等しいときにつらいことをすませておけば、どんなに良かったことでしょう。
外国に留学して外国語を習得したり、ピアノや楽器などの習いごとや本を読むなどを強制的にやらせてほしかったです。自分を磨くだけに、たった3年間捨てるだけでよかったのですから。
3年間、ないつもりで頑張れば何でもできるはずです。3年間ひとりになり、やりとげることで、体験が実績となり、知識と技能は実力となって自信を生むよいチャンスだったのです。」

鉄は熱いうちに打てという。私は卒業後に結婚、すぐに離婚して物書きになったが、今になって後悔するのは30歳前に小さくまとまってしまったことだ。親のすねかじりで迷惑をかけたとしても、語学、芸術、経済、政治・・と貪欲に学ぶ数年間があれば、どんな職業の選択も可能だったと思う。物書きという職業にせよ、書く文章の幅はもっと広がっていたはずだ。

若さの特権は、現在と未来の時間を沢山持っていることである。受験勉強と学校で得た知識だけで満足せずに、自分の可能性を磨いて欲しい。フリーターだって目的があれば悪くはないと思うのだ。30歳になって後ろを振り返り「失われた10年」にならないよう、右へ習えの就活・婚活で満足してしまわないように願っている。

こぶしの花

コメント

  1. marie より:

    「鉄は熱いうちに打て」ですか。なんか何十年ぶりに聞いた言葉かなぁと思いました。
    「婚活」・・・。これは時代が作った略語ですよね。
    よく昔の人は、「女は早く結婚して子供を産むのが当たり前」と言い、年頃となれば「結婚」にうるさかったですよね。確かに子孫繁栄や、子供を産む事だけを考えれば、早いに越した事はないと思います。
    しかし、今の時代はあまり関係ないですよね?
    一般人も芸能界も離婚が多い世の中。
    早く早くと急かされ、たまたま相手がいて結婚しても離婚の危機になれば、結婚を急かした親戚も親も「どうにかしろ」だの「離婚したら」だの勝手なことを言い出す始末ににもなる。
    仮にこんな結末を迎えるくらいなら、急かされても独身を通し、3年捨てて、3年後に結婚した方が実は幸せになれるのかもしれない。

  2. yuris22 より:

    marie様

    「婚活」って言葉には、打算的なイメージが付きまといますね。そもそも今の時代になって、適齢期って言葉をぶり返すのもおかしい。結婚情報サービス業界がマスメディアを煽って、心の価値が置き去りになってるように思います。
    それとも最近の若い人たちは、愛情に対して不器用になったのでしょうか。

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