恋愛関係の平等と公平

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老若男女が集った飲み会の席で、「平等」と「公平」の違いについて議論になった。辞書を引くと以下の意味を持つ。

・「平等」 かたよりや差別がなく、みな等しいこと。
・「公平」 すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。

これでは理解が不充分で、Yahoo!知恵袋で明快な解答を見つけた。

・「平等」 みんなに等しくチャンスと自由を与えること。
・「公平」 各人の努力とその成果に応じて、等しく評価すること。

これを賃金の額に例えれば、能力別で差をつけるのが「公平」。一律に労働時間で計算するのが「平等」となるらしい。1時間に10個の製品を作る者と、1個しか作れない者に同額の賃金を支払うのが「平等」だ。しかし平等に賃金を払えば能力のある者は不平不満を抱いて別の職場に行き、公平に賃金を払えば能力のない者は生活できなくなり、やはり職場を去っていく。

この仕組みって恋愛関係に似ていると思った。
「私が10の愛をあげたのだから、あなたも10の愛を返して下さい」。これは平等だ。
「私は10の愛をあげました。でもあなたには1の愛しかありません。それでもまた私は10の愛をあげます」。これが公平だと思う。
愛が共産主義でないなら、あげること・貰うことを天秤で計り合う必要はない。例え一方通行の愛であっても、相手を愛おしみ、悩み、もがき苦しむ「恋愛道場」(同じ職場)に居ることは、いつかは立場を逆転する同じ土俵に乗っているということなのだから。

バースデーパーティーであなたが丸いケーキを切り分ける役目を仰せつかったとき、一片一片が同じ大きさになるようにと努力する。平等にカットして配ったにも関わらず、一口食べて残す人、誰かにあげちゃう人もいる。その光景を見て「私があんなに苦労して切り分けたのに、全部食べてよ!」とムカつくかもしれないが、銘々皿に乗ったケーキを貰った時点でみんな既に嬉しいのだ。それをどう食べるかまで監視するのは「公平」ではなく、小学校の給食チェックみたいなものである。食べなきゃいけない義務感が湧く。

恋愛は公平であるほど、深まり長続きするんじゃないかな。フィフティー・フィフティーなんて有りないと思うし、思いの丈が届かなくて悶々とする夜も、「恋人いない歴は生まれたときからでーす!」の人に比べたらどんなに幸せなことか。アイドルやアニメの主人公ではなく、身近に愛する対象がいるのだから。

でもね、相手に訊ねもせず消極的になるのはいけない。ダメもとで言ってみるべきだ。「給料を上げて貰えますか!」ってね。OKかNGかペンディングか・・、NGでない限りは希望があるってことを喜ばねばいけない。「公平」とは黙々と自分を磨いて突き進む、場が「平等」な差別化の道なんじゃないだろうか。

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