スーパータスカーと貧乏性

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携帯電話をかけながら運転に冷静な注意を向けられる人を「スーパータスカー」と言うそうだ。法律で禁止された行為の是非は別として、私だってスーパータスカーの仲間に入るのでは?と思った。パソコンで仕事しながら携帯電話で雑談をし、テレビのニュースで今日の出来事を知り、洗濯機が脱水に入ったことを察知し、キッチンで湯気を立てている煮物を案じ、足にじゃれついてくる与六の相手を同時に行う。フルに頭と四肢を使う毎日だ。

スーパータスカーとは、複数の作業を同時に行っても、いつもと同じか、いつもよりうまく作業をこなせる“超人的”な能力の持ち主。40人に1人の割合で存在するという。頭脳のCPUとメモリーが限界に達しない限りは、コンピューターのマルチ処理のように複数の作業が同時に行える。戦闘機のパイロット、料理人、オーケストラの指揮者、テレビ局のプロデューサー等々、超人的な才能は存在するのだ。

しかし冷静に考えれば、私の場合はスーパータスカーというよりは貧乏性。一つの事しかこなせない自分に我慢ならないのだ。時にそれは常軌を逸して、電話で呼んだタクシーが来るまでの10分間に如何に多くの作業が行えるか、ぎりぎりまで用事を溜めておく緊迫感を楽しむ。倍速モードで事を達成した時の快感は、昨日の自分を負かした快感でもある。

「オッホッホ、私を誰だと思ってるの?」と白鳥麗子のような高笑いをすれば、もう1人の自分から醒めた返事が返ってくる。「それって、ズボラなだけじゃない?」
図星である。時間に余裕を持てば、スーパータスカーである必要なんてないのだ。

今日も原稿をメールで送ったのは締め切りの3分前。送信ボタンを押した後に「やったー!」と万歳三唱。「三つ子の魂百まで」の諺を納得するスーパータスカーもどきであった。
あー疲れた。今夜は飲みに行かないぞ。

コメント

  1. marie より:

    人間は貧乏性なぐらいの方がいいのかも・・・?
    以前にもお話しましたが、私は子供の頃は本当に貧乏のどん底で生活をしていました。
    父母が離婚し、父親に引き取られ祖父母に育てられたと言うのもぎりぎりの生活だった理由の一つである。
    けれども、そんな貧乏でありながらも、私立高校に入学し三年間高い授業料を払ってくれ、卒業時には自動車学校に・・・とお金を出してくれた父には感謝しなければならない。(祖父母にはもっと感謝している)
    けれどもこの「感謝」と言う言葉はここ2、3年で思うようになったような気がする。
    ここ10年の間に結婚、出産、離婚の危機、親戚や父親、夫、義母との間で本当に色んなことがあり、感謝する気持の余裕もなかったように思います。
    やはり、人間は気持ちに余裕がないと他人にもやさしくなれないし、ましてや「感謝」と言う言葉も生まれてこないような気がします。

  2. yuris22 より:

    marie様

    私も父に対して感謝するようになったのは、ここ数年のことです。私のことを陰でどれだけ心配してくれていたか、父が倒れてから知りました。呆けた今でも私が一番の宝物だと言っています。涙が出ますね。

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