石巻の牡鹿半島 ボランティア体験記その2

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石巻市渡波地区の冠水した道路を軽自動車のミラが、ブワーッと水を跳ね上げながら先陣を切って走る。「おいおい、大丈夫か」と後ろから付いていくイプサムも水の洗礼を受けたが、何とか無事に脱出。この地域がどれほどの冠水をするかは、読売新聞の映像ニュースで見て頂くと様子がわかる。
被災地の浸水対策、難航」(2011年5月23日公開)
http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn110523_1.htm

雨が降る中、朝6時40分に牡鹿郡女川町に到着。女川町立病院の駐車場から誰もいない町を見おろした。鏡のように静かな女川湾の手前には、まるで爆弾が落ちたような被災風景。津波に根こそぎやられて引っくり返ったビルの屋上が見える。

女川地区
旧消防署の左側には、津波に運ばれて引っくり返ったビル。底が見えている。
旧消防署
3階建のビルの上に、お腹を出して乗っかったままの車。
女川地区4
車内では言葉を失ったまま、私たちは牡鹿半島へ入っていく。右側に穏やかな海、左側の山には津波が駆け上がった跡。茶色の山肌が剥き出しで、また大津波が来たら絶対に逃げられないことだけは確かだ。

午前7時50分、炊き出しをする荻浜中学校避難所に到着。次いで到着した4トントラックから皆で荷卸しをする。電動バイク3台、電動アシスト自転車4台、ドラム缶のBBQ台2個、液晶テレビ2台、食料品や支援物資が詰まった段ボール箱は気が遠くなるほどの数。降ったり止んだりの雨に空を見上げながら、トラックと屋根つきの通路との間を行ったり来たりする。

トラックが到着 荻浜中学校 支援物資

牡鹿半島では電気は来ているが、下水道はまだ復旧していない。仮設トイレの前には、トイレ流し用の雨水を溜めたタンク。手を洗うにも持参した水を使う。

仮設トイレと溜めた雨水
荷卸しが終わり、新幹線&レンタカーで到着する料理人たちを待つ間、侍浜の集会場に上がらせて貰った。家の横では札幌市水道局の給水車チームが黙々とポリタンクに水を入れている。

サムライ浜集会場 給水車

家が流されて集会場に身を寄せている女性が、笑顔でインスタントコーヒーを入れてくれた。地震発生時は鮎川のパート先にいたそうで、柱にしがみついて揺れに耐えたという。家族の安否がわからないまま、歩いて侍浜に戻れたのは2日後。家は無くなっていても、家族と愛犬のチワワが無事だったことが何よりもの幸せだと話していた。東京で寄付して貰ったプラズマテレビを運び込むと大喜び。今まではカーナビをテーブルの上に置き、人が通ると映像が消える小さな画面でテレビを見ていたからだ。

雨が上がり、夏のような日差しが照りつけ始めた。外に出て侍浜漁港まで坂を下ると、倒れた電信柱、流された消防車・・、津波の爪痕が痛々しい。

サムライ浜2
1時間後に仙台市から3人の支援チームが到着。電動バイク3台を担いで軽トラックに積み込み、ロープで縛りつけて野澤さんが石巻社会福祉協議会まで運ぶ。昨夜から一睡もせずに運転してきたのに、またハンドルを握って動き回るタフさには頭が下がる。

ボランティアたち バイクを積む

荻浜中学校に戻ると、西麻布の串焼屋「桃屋」さんチームが到着した。身銭を切って週末の度に炊き出しを行っている素晴らしい方々だ。お昼の炊き出しメニューは、焼きそばと焼き魚。また降り出した雨に途方に暮れながら、午後1時の提供開始を目指す。しかし神様が味方してくれて、被災者の方々がテーブルに集まってくる頃には空が晴れていた。

炊き出しの準備2炊き出しの準備

個人宅に避難している方たちからも「○○人分お願いします」と次々に注文が入り、料理人チームは焼けた炭の熱さと戦いながら頑張る。子どもたち13人で運動会をしている荻浜小学校からも、3時半には家族たちが戻ってくるとのことで、炊き出しは休みなく続く。その結果、焼きそば130食、焼き魚300本が皆の食欲を満たしてくれた。さらに5時までには夕食用に豚の角煮丼を提供するそうで、桃屋さんチームのスピーディーでプロフェッショナルな動きには感動するばかり。角煮は2日間かけて煮込み、ご飯も40キロ炊いて新幹線で持ち込んだという。

食事スタート 焼きそば 焼き魚

野澤さんはさらに車を走らせ、避難所まで来られない被災者たちに食事と支援物資を届けるというので、私も同乗させて貰うことになった。想像を絶する悲惨な風景を見ることになるのだが、この続きはまた明日。

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