東日本大震災から10週間。震源に近いのに支援の手が足りない牡鹿半島へ、頼りないボランティアとして出かける夜がやってきた。
個人でゲリラ的支援活動を行っているハミングバードの野澤さんから、家まで迎えに来てくれるとのメール。その前に夕食を済ませねばと思うのに、食べ物が喉につかえて通らない。ネットでは今夜から明日にかけて大地震が起きるとデマが飛び交っている最中に、心は強がっていても身体は正直だ。
お留守番の与六には水とドライフードをいっぱい置いて、午後8時45分に逗子を出発。まずは東京の広尾で支援物資のパンを受取り、西麻布で炊き出しの食材を積み込み、6人のメンバーが揃った。私たちトヨタのイプサムと一緒に走るのは、ダイハツのミラ。どちらも寄付して頂いた中古車だが、廃車寸前の軽自動車の方は石巻の被災者に使ってもらうため、体力のありそうな若者組が交代で運転していく。パズルのように物資を積み込んだ4トントラックは既に出発済み。
バスや大型トラックに交じって、ひた走る真っ暗な東北道。2回目の休憩ポイントの菅生PAでうっすらと夜が明けてきた。仙台松島道路が途中工事中のため通れないので、東松島市で高速を降りる。とたんに景色は一変し、目に飛び込んでくるのは色彩感を一切無くした、津波の残骸ばかりだった。
根こそぎ家々が流された平野には一隻の船。
そこかしこに並べられた車には×印が付けられている。白い×は処分OKの目印、赤い×は遺体が乗っていたという目印で、赤い×が連続しているのを見ると目を塞ぎたくなってくる。
走っていた5時15分はちょうど満潮を迎える時刻で、窓の外は田んぼや町があったところが海になっている。
港に近づくと時が止まった日本製紙工場と貨物線が現れた。魚市場周辺には腐った魚と油の匂いが混じり、鼻が曲がるほどの異臭を放っている。脚組だけになった倉庫。延々と続くガレキの山。
水に阻まれて行き止まりになった先には、ここはベニスかと思うほどの水没地区があった。電信柱が転がり、石巻市立病院の白さだけが浮き上がっている。
市街地に入っていくとコンクリートの基礎だけ残った家。潰れたカーショップ。潰れたパチンコ屋。文字通りの廃墟である。「だいぶ片付いたよね」と野澤さんは言うけれど、ガレキにふさがれていた道がやっと通れるようになったと言う意味だろうか。
オープンしているコンビニは幾つか見たけれど、スーパーのヨークベニマルには流された家と車が突っ込み、隣のマクドナルドも引っくり返った車が前に放置されたまま。
早朝だと言うのに突然渋滞に捉まった。先の道路が冠水していて進めず、荷を積んだトラックたちが水の引くのを待っている。家から水を掻き出す人の姿も遠くに見える。
車から降りて近所を散策すると、支援物資の衣料品が詰め込まれた段ボール箱も冠水。遠目には良さげな服に見えたが、確かめるとボロ着ばっかりだった。
自転車で通りかかったおじさんが「エンジンに水が入るから回り道したほうがいいよ」と教えてくれたが、先を急ぐ私たちは前に進むことを決心。ブレーキを踏まないようにして、軽自動車のミラ組が豪快に水を跳ね上げながら先陣を切る。私たちは無事に脱出できるのか、この続きはまた明日。
コメント
無事にご活動された様子ですね?
ありがとうございます。
的は逗子の素浪人様
与六がお腹を広げて大歓迎してくれました。さすがに今日は寝たり起きたりでしたが、次回はもっとタフにならねば!機会があればご一緒しませんか?
お疲れ様でした!
もしかして、あの時荻浜中で一生懸命お魚焼いていらっしゃった社長様かなと思いまして・・・
私はその横でチョロチョロトマト切っていた主婦です。
みなさんがお帰りになった後も、お弁当配って、置いていってくださったたくさんのお菓子もみんな配りました。みなさん喜んで持っていかれましたよ!
特にチョコは大人気でした。
最後の方は、チョコを独り占めしようとしていたおばあ様がいて、ちょっと怪しかったです(笑)
私も炊き出しのお手伝いは初めてでしたが、貴重な体験ができたと思います。
野澤さんほど大掛かりなことはできませんが、普通の一般人としてこれからも支援活動させてもらおうと思っています。
行ってみなければ分らないことってたくさんありますよね。
ママ’sハート庭野様
コメントありがとうございます。
私は髪を後ろに束ねてキャップを被っていた者です。恵比寿ロータリークラブから4名(プラス社員の方2名)で参加しました。
庭野さんご夫婦にはお片づけをお願いしてしまい、たいへん申し訳なく思っております。体育館から運んだテーブルもそのままでゴメンナサイ。でも皆さんにお弁当とお菓子が行きわたったと聞いて一安心です。本当にありがとうございました。またお会いできますように。