「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、秋分の日にきちんと秋が訪れた。虫のコーラス隊は昼間のセミから夜のコオロギへとバトンタッチし、今年もあと数カ月で暮れてしまうのかと、過去を振り返るモードになってしまう。
昨夜は窓を開けて涼風を入れながら、おうちシネマ。浅田次郎原作の『地下鉄に乗って』を観た。高校卒業後から絶縁状態にあった父が倒れたと聞いた日、中年の営業マンである主人公(堤真一)が、子供時代に亡くなったはずの兄を追いかけて丸ノ内線に乗る。降りた駅は東京オリンピックに湧く昭和39年のレトロな街並み。タイムスリップした過去を辿りながら、終戦から這い上がってきた父の生き様や愛の物語を知るというストーリーだ。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』やNHKの朝ドラ『おひさま』など、私は昭和20~30年代の物語が大好きだ。貧しくても戦後復興に賭けた人々の目はキラキラとして、白黒テレビを1台購入しただけでご近所さんたちがプロレスを見に集まるような、笑顔と活気に溢れた時代である。殺伐とした人間関係の現代と比べたら、心の熱さが羨ましくてたまらない。
昭和の映画を観終わると、続きを求めて見たくなるのは、両親から受け継いだ古いアルバム。褪せたモノクロ写真の横には、父が万年筆で説明を綴っている。買ったばかりの車と撮った写真には「六〇年型ブルーバード。愛車ノ前デ1959年11月」。ステレオとテープレコーダー、ミキサー、冷蔵庫、幕をかけたナショナルテレビ等々、ご自慢の電化製品を撮るときには必ず私を脇に置いて「ゆり子と○○○○」。当時のことは殆ど覚えていないけれど、懐かしい崩し字から愛が読み取れて、今さらながら大切に育てられたのだと知る。
私も『地下鉄に乗って』みたいに、電車で遠い時代に行けたらいいのに。パソコンの復元ポイントの要領で、クリックひとつで昔に戻れたらいいのに。アルバムの写真の人たちより歳を取ってしまった自分が、なんだか仲間外れにされたように思える。
今日は古い友人にでも久しぶりの電話をかけてみようか。日だまりでフカフカになった猫の背中を撫でながら、物想う秋、センチメンタルな秋である。
コメント
ホント、僕たち良い時代を生きてきたなって思います。
はじめまして。楽しく拝見しております。…本当にそうですね…。よくYouTubeで80年代の歌を聴いていますが、良い時代だったなぁ…と沁みてきます。今は何もかもが幼児化・幼稚化してしまいましたね。政治家を筆頭に。
「タイムマシーンができるかも」のニュースがありましたね。「ニュートリノの速度が光速より早い」、光速より速い物質が存在すると言う事は、時間を遡る可能性があるそうですよ。長生きはして見るもんですね。
ゆり子さん、
そのと申します。
この連休に、昭和なまま残された生まれ故郷、徳島の田舎町に帰省して時代の流れを感じたばかりでした。
無人駅の干からびた花壇、
足元さえ闇に吸い込まれそうな街灯のない田んぼ道、
闇の雲間に輝く星々、
彼岸花の咲く単線レールを渡った先にある、西に向く斜面の父の墓、
…
時が一方向に進むというのは、物が朽ち果てる現実を見るようで、なぜか哀れで無惨に感じたりして…。
けれど、
ますます小さくなり耳も遠くなる老いてゆく母の笑顔は、それでも変わらず完璧でした。
あ、それと、見事な青い空に白い雲。過ぎた何十年なんて「は?」てなもんで、堂々と広くて寛容で繊細。感動です。
私たちはそれらを懐かしく慈しみながら、前に向かって生きてゆくんですね。
あぁ、可愛いぃお婆ちゃんを目指したい~ッ。はは。
亀吉様
丁寧に残した古き良きものに魅力を感じます。亀吉さんのお店も元号が何度変わろうと、ずっと残して下さいね。
寅様
新しくメロディを作ることに限界が来たのか、流行の歌はリメイクが多いですね。最近は懐メロ番組の演歌まで楽しんでしまう私です。成熟した歌はいつまでも残りますね。
的は逗子の素浪人様
何としても生きている間にタイムマシーンが出来て欲しいです。でも未来へは行かないだろうな。写真で見た、私が生まれた頃の家族を遠くから眺めて、音や匂い、感触などを実体験して帰って来たいですね。一度でいいから戻りたいなあ。
その様
徳島は幼いころの出来事をいまだに夢に見るんですよ。秋の広大な森の中で迷子になった夢なんですが、実際は小さな木立だったりしたんでしょうね。わんわん泣いているところに迎えに来てくれた母は、とてもいい匂いがしました。なぜか金木犀の香りをかぐと泣きたい気持ちになるのは、当時の名残かもしれません。
ほんの数年しか居たことのない町だけど、幼い記憶は絵本のように色も鮮やかです。
昭和の風景はいいですね。自分が祖父母に甘えてた頃にタイムスリップしてみたいです。
marie様
祖母が作ってくれた海苔巻きとか、おはぎとか、あの懐かし味を食べたいな~と思います。どこにも売ってないんですよね。