着飾った女性同士でテーブルを囲む食事会。ファッションの話になったとき、先輩経営者が「このところ着るものに全く興味が無くなったの」と呟いた。「私もなんです!」と同意したら「あなた10年早いわよ」と叱られたが、加齢と共に容姿が自己顕示欲の対象から外れていくと、いったい何を着たらいいのか分からないのだ。どんな高級ブランドで武装しようと、若い女性のプチプラ服の方がずっと素敵に見える。
ひとつ自信がなくなると他にも波及する。ボディーパーツ、頭脳、持ち物、名誉等々、私には果たして自慢できるものはあるのだろうか。う~む、呆れるほど皆無だけれど、少なくとも自慢話で周りに不快感を与えずに済むのは気が楽だ。
自己顕示欲の強い人には似た傾向がある。会うたびに臆面もなく同じ自慢を繰り返すことである。
「うちの親戚は○○会社の創業者でね」
(そういう貴方は宿六のプータローですよね・・)
「このロレックスは製造中止になった希少モデルなんだ」
(ごめんなさい、時計には興味がないし、もう30回は見せられたんですが・・)
「うちは玄関が広くて靴が○○足並べられるんだ」
(ムカデのご一家ですか?)
にこやかに「へえっ、凄いですね」とお世辞を返して、心の中では面倒臭いなあと皮肉が思い浮かぶ。そんな自分はもしかして嫉妬しているのかと自己嫌悪に陥っていく。精神衛生上、自分にも相手にも「百害あって一利なし」なのが自慢話じゃないだろうか。
寿命が尽きて空に旅立つ時、持っていける俗物は何もない。奥ゆかしくあればあるほど魂からは汚れが落ちて、軽々と飛び立つことができるはずだ。
お釈迦様の教えである「無財の七施」は、地位やお金がなくても人のためにできることを言う。「眼施・和顔悦色施・言辞施・身施・心施・床挫施・房舎施」が自然にできるまでは遥か遠い道のりだけれど、その行為を人知れず実行できるようになることが、徳という最高のステップだと思っている。
コメント
自慢…何もなし。
ただただ生き、一瞬でも人の為になればと願う日々。
的は逗子の素浪人様
人間は真っ当であれば、生きていることだけで誰かの為になっているのだと思います。
自分に向かって自慢してくださいね。