82歳のフランス人と旅した被災地(後篇)

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気仙沼からBRTで到着した大船渡の盛駅。アスファルトのバス専用道を渡って、反対側のホームに電車が着くようになっている。

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次の三陸鉄道・南リアス線の発車時刻まで1時間、急いでランチを取ることになった。激しくなった雨の中を歩くと、三色国旗の立った可愛いイタリアン・レストランを発見。1,300円でバリエーション豊かなオードブルや春キャベツのパスタに舌鼓を打つ。「トラットリア ポルコ・ロッソ」というこの店は地元の農家や漁師から手に入れた食材をふんだんに使い、女性にはハート形のバケットを出すなどの気の利いたサービスをしてくれる。ここでもクリスチャン氏は完食。食事を残すことは罪だと思っているのか、高齢にして食用旺盛なのか、食後のコーヒーまで超特急で飲んで、スタッフの見送りを受けながら慌ただしく駅へと戻った。

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4月に釜石までの全線が開通したばかりの南リアス線。ワクワクしながらホームで待っていると、回送と表示された車両が入ってきて前方車両との連結が行われる。平日の昼間とあって乗客は少なく、一人ワンボックスずつ席を独占して車窓からの風景を眺めることにした。リアスという名が付いていても海が見えるところは僅かで、緑深い山とトンネルが幾つも続いていく。

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楽しみなのは恋し浜駅。小石浜地区で養殖されている「恋し浜ホタテ」にちなんだ駅名に変更され、ホームの待合室にはホタテ貝の絵馬がいっぱい吊下がっている。志村けんやAKB48のメンバー3人が記念乗車した際のホタテも奉納されているらしい。

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約1時間の乗車で釜石駅に到着。偶然その場に居合わせた新聞社の取材を受けていると、私たちに「こんにちは!」と挨拶しながらリュックを背負った小学生一行が電車に乗り込んでいく。三陸鉄道は赤字路線から脱却するために団体貸し切りやお座敷列車などのアイデアを駆使しているそうで、その際には車両の隅に置いてあったカラオケセットやスピーカーも朝ドラの「あまちゃん」みたいに使用されているのだろう。

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ラグビーボールのモニュメントが出迎えてくれた駅前から、川沿いの道を通って養護老人ホーム「五葉寮」へ。ハンドルを握る支援員の方が釜石市の被災状況を話してくれた。大震災で亡くなられた方は1,000名近く、中でも被害が大きかったのはこの地域で、20~30mの津波に襲われて約600名が犠牲になったのだそうだ。

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海岸から4kmの距離にあって高台に建つ五葉寮では、地震発生後に避難してきた地域住民と共に居室待機。安全な場所にあると思い込み、これまで津波を想定した避難訓練は行っていなかったという。ところが町並みを飲み込むように津波が押し寄せ、施設にも浸水が始まった。職員たちは入居者とデイサービス利用者50人を連れて裏山へ避難させたというが、途中で2名が流されて犠牲になったという。施設の2階まで浸水したため、その晩は地域住民と併せて130人が裏山の100㎡ほどの作業所で、座りこみ肩を寄せ合って夜が明けるのを待ったのである。

その後、避難所に分散した入居者たちは県内の養護施設9か所が受け入れを決定。半壊した施設はもっと奥まった場所へ移転が認められ、昨年11月に建物が完成、今年3月末には定員60床が満床となった。津波で地域が壊れてしまい、おじいちゃん・おばあちゃんの見守りをできる家族がいなくなった。独り暮らしで経済的にも行き詰まった高齢者たちは養護老人ホームへの入居を待っている。

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今回私たちは、仕事がら足腰に負担のかかるスタッフ全員に腰用サポーターを寄贈。ヨーロッパで4割のシェアを誇るフランス・チュアンヌ社製の「第2の皮膚」と呼ばれる素材を使用したストレスフリーなサポーターである。若い年代は東京に仕事を求めて流出する東北では、施設は建設されても介護スタッフが圧倒的に少ない。五葉寮は自立できる入居者も多いが、それでもスタッフ1人で15人を看ているのだという。

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贈呈式が終わり、帰途はジャンボタクシーに乗って新花巻駅へ向かう。携帯の電波も立たない山道をくねくねと走ること約2時間、途中で一休みした道の駅「遠野風の丘」で自分へのお土産としてブリキのカッパを買った。

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18時には飲食店がクローズしてしまった新花巻駅で20時の新幹線を待ちながら、お疲れさまでしたと缶ビールで乾杯。次に東北を訪れるときは観光客として、たっぷり時間をかけた旅をしたいな。そのころには気仙沼も釜石も今よりずっと復興しているといいな。もっと地元の人たちと自然体で触れ合えるといいな。皆それぞれの想いを胸に、ちょっと後ろ髪を引かれる復興支援の2日間であった。

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