福島駅と南相馬市のあいだで・・

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福島県には旅行やボランティアのために車で訪れたことがあるが、電車で来たのは初めて。待ち合わせは西口か東口かと構内をウロウロして、マイクロバスで待って下さっている皆様にご迷惑をかけてしまった。

南相馬市へ向かうルートは去年の7月に東北道から入ったのと同じく、山を2つ越えるアップダウンの1本道。右側を流れていく緑は、原発事故さえなければ日本が誇る米穀地帯なのに、田んぼとしては戻しようもない雑草がぼうぼうと生えた無人地帯になっている。飯館村、川内村、そして13日に大型トラックが暴走して6人の死傷事故が起きた川俣町の道路には、黒々と染み込んだタイヤの跡が延々と続いていた。山道を慣れていない車が行き交い、霧が出やすい気候からして、報道されていない事故が度々起きているらしい。

飯館村1
飯館村2
マイクロバスを運転してくれた学校の先生は、生まれ育った飯館村で震災に遭った。3月15日に福島原発の3号機が爆発した時、住民たちは何も知らされずに44ミリベクレルの放射線を浴びていたという。

「慌てて逃げて、残してきたお宅は泥棒が心配じゃないですか?」と聞けば、「退去命令までは1カ月ありましたから、戸締り等は問題ないです」との淡々とした返事だった。爆発の日は福島駅でも20ミリベクレル。しかし1年4か月が過ぎれば驚くことに、今走っている道や南相馬市よりもむしろ福島駅西口のほうが線量が高いらしい。とは言えど雑草だらけとなった田んぼ、家畜が殺処分となった牧場をどうして切り盛りしていけるのか、戻れる術もないだろう。

「大企業が南相馬に工場を造って、雇用促進してくれませんかねぇ」。
仙台に戻れば自社も邸宅もあるのに、あえて支社のある南相馬に永住することを選んだご年配の社長が呟いた。人口流出が続けば、市そのものが無くなってしまう。

「高校の生徒たちは多くが東電に雇用されてきました。でも今後はどこに就職できるのか希望が見えません」。
福島駅と南相馬市(片道が2時間弱)を2往復してくれたゴマシオ頭の先生の呟きには、辛すぎて返答のしようがなかった。

今回のボランティア。倉本聰さんの脚本・演出による舞台「明日、悲別で」が南相馬市民会館で無料公演されるので、会場整理要員として少しでもお役に立てればの参加である。開場の数時間前から並んでいた住民の皆さんにより、約1,000名の客席が瞬く間にいっぱいになった。北海道の炭鉱が閉鎖された20年後に福島原発事故が起きたという重い内容なのに、席々から感動の涙が流れ、カーテンコールを何度も求める賞賛の拍手が鳴り止まなかった。

明日、悲別で
南相馬市民文化会館
上気した顔の観客たちを送り出して、深夜に戻ってきた福島駅のビジネスホテルでベッドに潜り込んで、気持ちが高ぶり過ぎて眠れなかったのは「生きている」沢山の感動を戴いたからだと思う。

みっともないことに未だに疲れが取れず、アルコールの大いなるパワーを借りることも出来ず、ボランティア魂が足りない自分が情けない。でも明日のお昼には、行動を共にした仲間たちと会えることが楽しみで仕方ない夏の夜である。

追記:
ブログを書き終えて階段を降りると、首の鈴をチリチリ鳴らしながら与六が猛スピードで追いかけてきた。飼い主が翌日まで帰ってこないと、引っ付き虫ならぬ引っ付き猫になる。困ったもんだニャー。

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