護られていると感じるとき

広告

都内での仕事を終えた夕方、幹線道路を第3京浜の入り口に向けて走っていた時のことだ。渋滞するはずの道路が異常なほどに空いていて、赤信号でストップした時は見晴らしの良い滑走路みたいだった。

よ~し!信号が青に変わった瞬間にアクセルを踏みこむと、なぜかエンジン音が低下して前に進もうとしない。ご機嫌斜めなトラブルの多いMINI COOPERからして「ウワッ、壊れた?」と焦り、後ろからクラクションを鳴らされるのを覚悟した。

その数秒後だ。交差点内に信号無視をした猛スピードのワゴンが侵入してきた。外交団用の紺色のナンバープレートをつけた車で、タイヤを鳴らしながら映画のカーチェイスみたいに無謀な飛び込みをしてきたのである。もし私が走り出していたなら確実に体当たりされて、今頃はブログなんて書いていられる状況ではなかっただろう。竜巻みたいなワゴンが走り去った後、MINIは難なく快調なスタートを切った。もしかして護ってくれたの?

世の役に立ちもしない私が生かされている。天災や事故に遭わぬよう、不思議なヴェールが掛けられているのを感じ取らずにはいられない。

実は数年前の深夜、MINIが走りたくないとイヤイヤをしたことがある。ETCゲートがまともに抜けられないほど蛇行して、自分の体調のせいかと思った私は友人に運転を変わってもらった。路肩から走り始めた直後、横断してきた黒猫を跳ね飛ばしたことを友人が隠していたのは、私にショックを与えないためだったらしい。

生まれた時から辛いことが山ほどあった人生だけど、身内も殆ど消えてしまった現状だけど、「大丈夫だよ!」と誰かが幸せの粉を振りかけてくれる。空に逝ってしまった人たちの名前を思い出して、彼らが好きだった曲をリフレインして聴けば未だに涙がポロリ。でも互いの場所が遠い近いの問題ではなく、生死を超えた絆はしっかりと結ばれていることを確信している。護ってくれてありがとう。意志を持ったMINIと、いつも隣に張り付いているニャンコの与六は、きっと彼らのメッセンジャーだ。

コメント

  1. 的は逗子の素浪人 より:

    「守らているなぁ」と思った事。
    もう22年位前の事ですが、生れたばかりの長男を抱いていた時に転びました。当時私が障害を負ったばかりでその体に慣れていない事もあったかと思いますが、子供に怪我をさせない様に、体を回転させて私の背中から落ちるようにしました。勿論子供は無事でしたが、不思議だったのは、その時「ガッツん」とでは無く、なんとなく「ふんわり」と私の体が着地した事です。
    本当に不思議な感覚でした。その後も2,3回転んだ時にその様な感覚を味わった事があります。
    ホントに不思議な感覚でしたね。

  2. yuris22 より:

    的は逗子の素浪人様

    命の危機を感じた時ほど、時間はスローモーションになるようですね。それは生還した人が共通して話していたことですが、きっと目に見えない力で護られているのだと思います。
    自分は何を為すために生かされているのかをポジティブに感じ取っていきたいですね。

// この部分にあったコメント表示部分を削除しました
タイトルとURLをコピーしました