FaceBook友達って本当に友達?

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FaceBookから送ったメッセージに返事がなかった。これ程度のことで落ち込んでしまうのは、いきなり秋が来たせいだろうか。入道雲から鰯雲へ、ツクツクボウシからコオロギへ、移ろっていく人の心は何に形を変えるのだろう。そんなアナログなら遣り過ごすが、嫌な気分にさせるのは便利さをアピールするデジタルなシステム。顔写真の横で「既読」と表示されているから、「読んでいるくせに」と不信感が湧いてくるのだ。

朝の穏やかな青空はどこへやら、午後10時近くの今は大雨警報の土砂降りに見舞われている。9月を待たずに訪れた気候の変化は、セーターが恋しい季節を突然連れてきた。今年は豪雨や台風が多発すると予測されているのか、やたら災害対策の番組が目立つ。

NHKスペシャル 巨大災害「大避難~命をつなぐシナリオ~」では、短時間で巨大津波が襲う「南海トラフ巨大地震」に向けて、数百万人規模の大避難をどうやって行うかのシミュレーションをしていた。まもなく伊豆小笠原海溝で発生が予測されているM8~9の地震にしても、津波が首都圏に到達するまでには1時間。避難指示に従って冷静に行動すれば、家財道具は失ったとしても命は助かる猶予はあるのだ。

でも1人じゃ心細い。やがて私も単身の高齢者世帯に仲間入りする。FaceBookやLINEでSOSを送っても無視された時には、自分にジャッジメントを下すのは自分しかいない。

行政が用意してくれたバスに乗り、もしくは猫を連れているから徒歩で、高い場所に向かって逃げていく自分を想像してみよう。避難施設に入れるか、野宿か、安否確認をしてくれる人はいるかと、家族のいない身として不安になる。そしてFaceBook友だちの面々を思い浮かべる。彼らは身近な愛する人たちと逃げた後に一息つき、数日たってネットが繋がり、生死が分かった私の投稿を見て、文面など殆ど読まずに上っ面の「イイネ!」をするんだろうな。それがもしも電話しかないアナログな時代だったら、わざわざ長蛇の列に並んで、私を探そうとはしないはずだ。メアドは知っていても電話番号は知らないのが、今の時代の疎遠さだ。

白いレースの敷物に乗っていた昭和の黒電話が懐かしい。肉声で話すしかなかった時代は邪推や憶測などなかった。メールに返信がないからと一喜一憂する必要もなかった。

プログラミングやWEB制作の仕事をしていながら、デジタルの上っ面さをひしひしと感じるこの頃。
私の気持ちが通じていますか? 面倒だから適当にイイネ!しているんですか?
表裏なく信頼し合えた相手と、FaceBookに「親友」のボタンが出来たらどんなにいいだろう。

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