遅れる行政、はやるマスコミ

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50年に一度の記録的な大雨が関東を襲った。「線上降水帯」いう行き場をなくした積乱雲の帯が、神奈川-東京-埼玉-群馬ー栃木の上空に縦のラインを作り、信じられない豪雨が降り続いた。秋雨前線が停滞した日本列島を台風17号、18号が挟み撃ちしたことによって、未曾有の災害を体験させれられたのである。

戦国の世、織田信長が人間の人生なんて短いのだから思い切って進むべしと、「敦盛」の一節である「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と舞った話は有名だ。しかし平成の世になって、兵士が束になっても敵わない自然の脅威が威力を増し続けている。

逗子市に土砂災害警戒情報が発令された9月9日、我が家にも災害無線が途切れ途切れに聞こえてきた。無線で流れる声は聞き取れないのでホームページで調べたところ、「市内全域に避難準備情報を発令し、自主避難所を開設した」という内容。高台にある我が家は避難の必要がなくとも、崖下にある家、しかもインターネットが使えない高齢者の家だとすれば、どうやって迫りくる危機を察知するのだろう。

雨雲レーダー
行政の災害無線はいつもと同じ柔らかい声、いつもと同じ感情のない口調。のどかな平日の昼下がりに「オレオレ詐欺に気を付けて下さい」と流れてくるノホホンさと同じである。およそ緊迫感を感じさせない「まったりアナウンス」を、激しい雨音の中で聞き取れという方が難しい。しかもアナウンスは各方向に向けて一回だけ、テレビを見ていたら絶対に聞き逃すだろう。

堤防が決壊した茨城県では、市長がマスコミの取材に対して「決壊する前に避難指示を出した」と答えていた。ところが夜が明けて分かった真実は、市民から情報提供があった地区にしか避難指示を出していなかったこと。そこから聞こえてくる遠い無線に耳をすませながら判断が付かず、逃げ遅れた決壊場所の住民たちの怒りはいかほどのものであろう。

9月10日のテレビ放送は全て、家に取り残された住民たちを救助する自衛隊ヘリのライブ映像。電信柱にしがみついて耐える男性、住居の瓦屋根にペットを抱えて座りこんだ夫婦、電線を避けて近づくヘリコプターから降りてきた隊員が救助する様子がリアルタイムに放映される。

しかしこれを映して良いものか、周囲を飛び交ってカメラを向けているマスコミのヘリコプターにはなぜ抗議が向かないのか不思議だった。万が一、自衛隊員が救助に失敗して水中に転落したら、ロープが間に合わなくて濁流にもまれて溺れてしまったらどうするの?ズームレンズで追い続けて、人間の生死をライブで記録する放送局にモラルがあるのかと、2011年大震災の津波より、もっとスクープを狙うぞとする報道姿勢に嫌悪感を感じた。

決壊地点に災害無線を放送できなかった行政のアナログ。災害が起きそうな場所をITで予知していち早く取材に向かうマスコミのデジタル。どちらも業務怠慢だと思う。行政はIT(デジタル)を学び、マスコミは心(アナログ)を取り戻し、両者が協力し合っていく体制はできないものか。自分の利を守るな!だ。

まもなく始まるマイナンバー制度。混乱をきたすのは火を見るより明らかだけど、マスコミはシステムの不具合をこそこそ収集して非難の爪を研ぐのでなく、「ほら見てごらん」の前に人を助けようとする愛の使者が現れて欲しいものである。

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