死にたいほどの悩みを聞く人

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本当に辛くてたまらない時って誰に相談すればいいんだろう? 家族、恋人、友達・・の誰かの顔が即座に浮かび、「あのね、実はね」と打ち明けることができるうちは大丈夫だ。解決まで辿りつかなくても抱えている苦しみを聞いてもらえるだけで、心の重荷が半減した安堵感が得られる。また明日からもうちょっと歩けるかなと、今夜はぐっすり眠ることができる。

でも、打ち明けられる相手がいない人はどうすればいいんだろう? 家族、恋人、友達・・がいたって、悩みの度合いによっては孤独の殻に閉じこもるしかないケースもある。彼らのことが好きで大切であるほど、こんなことを言ったら嫌われるかもしれないと、駄目な自分を見せられなくなることがあるのだ。

学校内での苛め、ブラック企業でのハラスメント。自ら命を絶ったニュースが流れると、どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったのかと涙を流す親族の映像が流れ、ネットでは犯人探しと、加害者と思わしき人物への糾弾が始まる。そこに本当に加害者はいたのか、亡くなった本人の心情を知る以前に、外側から真相作りの囲いが始まるのである。

 

私は数年前に心理カウンセラーの資格を取り、勉学を共にした友人たちと一緒に、自宅をカウンセリングルームにして開業しようと試みた時期があった。しかし彼らとミーティングしながら、なぜマニュアル作りにばかり励むのか、なぜ同業者と比較してお金のことばかり考えるのか、職業講師から学んだ方法がベストと信じている姿勢に疑問を持つようになった。やがてその一人がこっそり家に訪れ、「カウンセリングじゃ儲からない。教室を開いて儲けるのがいいんですよ」と言ったときに、愕然とした気分になった。今は私を除き、彼らで活動を行っているようだが、望んだように順調に運んでいるなら、それが正しかったんだろう。

 

これまでの人生で何の因果か、私の周りには孤独死した人が多い。SOSの電話を「まさかね」と遣り過ごしたことには、後悔の夢を毎日のように見る。

死にたくてたまらない人の無言の叫びを聞いてあげられるのは、自分の幸せを満喫している家族、恋人、友達ではない。ましてや不幸自慢で対等に立とうとするカウンセラーでもない。黙って、ただ黙って、いくらでも傍にいてあげる人でしかないのだと思う。泣いてすがってきたら、諭すのではなく肩を抱きしめ、「さあ飲むか!」とワインボトルを開けて夜通し付き合う酔っ払いがいいのだ。

いくらでも聞いてあげるよ。でも答えは自分で見つけるんだよ。何を選んでも大好きだし傍にいるからね。そんなふうに言える人間になりたいと思いつつ、そんなふうに言ってくれる人がいたらどんなに幸せだろう。

 

カウンセリングで習ったエンプティ・チェア(ゲシュタルト療法)を自分に試してみましょうか。・・と思って立ち上がったとたん、温まった椅子に「待ってました!」とばかりに与六が飛び乗った。秋の涼しさが増して、ぬくもりを求めていたんだね。抱いてベッドに運び、今夜は懐かしいサザンオールスターズの「真夏の果実」を聞きながら、ニャンコと一緒に眠ろう。

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