FaceBook依存症とミラボー橋

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IT技術が発達するにつれ、自分の中で危機感が広がっている。連絡はメール、調べ物は検索サイト、買い物はAmazonで、以前は身体を使っていた時間が余るようになった。ふと気づくとSNSのアイコンをクリックし、他人のつぶやきや画像、メッセージを追いかけている。電車やバスの移動時間でも同じ状況で、これって完全な依存症じゃないだろうか。

SNSを断ったらどうなるのか、この1週間FaceBookにアクセスするのを止めてみた。画面からアイコンを削除して、指が追いかける先を無くす。スマホの通知バーには誰かの誕生日やイベントのお知らせが表示されるけど、深読みせずに遣り過ごす。するとネガティブの塊となって襲ってくるのは疎外感。SNSに参加してイイネ!していない自分がブラックホールに突入したことを知るのである。空虚は身体に影響を及ぼして、不眠から逃れるために睡眠導入剤のお世話になるまで到ってしまった。

異変に気付き、心配してメールをくれた友人は2人で、そのうちの1人からはお見舞いの花が届いた。淡いピンクが主体の花かごをベッドサイドに置いて眺めていると、リアリティが戻ってくる。ネットを通じて求めていた人と人との繋がりが、仮想空間の中で起きていた出来事に思えて、独り善がりの高揚が醒めてくるのだ。沢山イイネ!を貰っても自分はスターじゃない。コメントや返事がなければ気になって仕方のない、幼い「かまってちゃん」だった。

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そして1週間ぶりにFaceBookを開けてみると、未読のお知らせが溜まっているだけで、ハプニングは起きていない。誰も私のことなんか気にしちゃいないのが逆にホッとした。友だちの近況を追いかけるのも面倒になり、そのままログアウト。禁断症状はきつかったけれど、意外と早く依存症から抜けられたことに驚く。そっちの世界とこっちの世界が共感し合わなくとも、自分は自分の立ち位置にいればいい。

「日も暮れよ 鐘も鳴れ 月日は流れ わたしは残る」。FaceBookのタイムラインは、アポリネールの詩『ミラボー橋』の下を流れるセーヌ川のようだ。人々の営みが淡々と遠ざかり、流れ作業で押されたイイネ!が泡になって引っ付いていくのは滑稽でもある。やがて時代の興味が他に移り、SNSに代わるものが現れる日も遠くはないだろう。

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