作って捕って食べて循環する生命

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上着がないと寒くなって、日一日と秋が深まっていく。このまま一気に年の瀬に突入しそうで、時間を無駄にしてはいけないと焦りが湧いてくる。

かと言って何をすれば良いのか分からず、あれこれ手を付ければ、中途半端にとっ散らかるばかり。一気呵成に片付ける集中力と根気がなくなったのは加齢のせいだろうか。

昨日は都内で飲食店を営んでいる友人が、小坪まで魚の仕入れにやってきた。天候不順で不漁が続き、築地市場では価格が高騰しているという。

浜仲買商の店へご案内して、買い付けたのは伊勢海老。箱から飛び出して逃亡をはかろうとする元気な海老たちに大笑い。大人しくフリーズする掴み方など教えてもらい、生きているものをありがたく戴く贅沢を間近に感じた。

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魚だけじゃなく、近頃は露地栽培の野菜も高騰して、レタスなんて気軽に買えない値段になった。夏には外側の硬い部分は棄てていたのに、今はスカスカの巻きの一枚一枚を余すところなく使っている。

食材は消費者のニーズに応えて、当たり前に供給されると信じきっていた意識は傲慢だったのかもしれない。

土を耕して作る人、網を投げて捕る人、少しでも早く新鮮にと流通させる人。一気呵成なんかじゃなく、みんな技量を伸ばし積み重ねて今がある。スーパーの陳列棚を見ているだけでは分からない努力のおかげで、私たちの命も継続しているのだと思った。

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