親が子供になる日

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子供の頃から父が嫌いだった。
それは大人になっても続き、少なくとも3年前までは常に煙ったい存在だったと思う。

 

父は仕事人間で、家には週末しか帰ってこない。私には他所のおじさんが来たように見えた。
お風呂から上がった土曜日の夜、まだ幼稚園だった私を前に座らせて、1000まで数えろと言う。
「566,577・・うーんと次は・・・、もう眠いよ・・」
まぶたが重くて閉じそうなのに、1000を数え終わるまで寝かしてくれない。わんわんと泣きながら、しゃっくりしながら数え続けた。

 

機嫌のいいある日、私の前に10円玉を積んで山を作る。
お小遣いをくれるのかと喜んだら違った。
「いいか、これを全部使ってしまったら何も残らない。使うのを我慢して銀行に入れておけば、あと1枚増えるんだ。でも増えたのを使っちゃったら、いつまでたっても同じ額しか残らない。」
どうやら貯金の仕方と金利について教えようとしたらしい。

 

父の会社に入り、煙ったさはますますグレードアップする。一人っ子の私に、女であっても会社を継がせようと、顔を合わすたびにお説教。
「そんな甘っちょろい考えで、人なんか使えるかっ! いい歳して何やってんだ!」
真っ赤になって机をどんどん叩いて怒鳴りまくり、逆ギレした私も反論して怒鳴りまくる。
彼は「どこかの経営者」であって「父」ではない。そう思うことで泣きたい思いをしのいだ。

 

そして3年前の5月。父の秘書からの電話。
「大変です。会長が倒れました。今、救急車で病院に向かってます」。

ホテルでワインを飲んだ後、部屋でシャワーを浴びようとして倒れた。
診断は脳内出血。
その日の病院は運良くも脳外科部長が当直で、すぐに開頭して出血部位を取り除く手術を行い、一命をとりとめた。

 

あくる日親戚が集まり、ICUに様態を見に行った後、叔母から「これからは貴方がしっかりしないと駄目だからね。」と肩を叩かれた。
今まで冷静でいたのが、堰を切るように涙がこみ上げてくる。事態の重大さに初めて気づいた。

 

手術から1ヵ月後。
「この先どうリハビリしても、脳の機能は通常人の2割程度でしょう。」
医師の予想通り、半身不随となった父は身体障害者1級、要介護度4で何度も転院を繰り返し、今は終の棲家として有料介護施設に入りケアを受けている。
施設のスタッフを自分の部下だと思い込み、
「○○くん。そろそろ結婚したほうがいいぞ。2000万ぐらいのマンションを買ってやるからな。」と気前良く笑う。

 

わがままさは今も変わらない。仕事中に携帯が鳴り表示を見ると、父からの電話。
「大変なことになった。お前すぐ来られるか?」
大変なことなど起こってないのは承知で、会社を抜け出し車を飛ばす。

 

デイルームで幼児向けの積み木パズルを解きながら、私の顔を見つけた父の顔がほころぶ。
「俺な、お小遣いがないんだ。みんなを寿司屋に連れて行きたいから、10万円置いてってくれないか」。
父の後ろで介護スタッフがNo Noと首を横に振っている。
「わかった。ここの受付に預けておくから、必要なときは引き出してね」となだめつつ、介護スタッフに「毎度のことでごめんなさい」の目配せを送る。

 

親が子供になる日。
それは3年前に突然やってきたけれど、今でも顔を見るたびに切ない。彼は尊敬してやまない憧れだったのだから・・。

お土産にお酒とはいかないが、今日は桜餅でも買って行き、口元に春を運んであげることにしよう。

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