自惚れ鏡が映すもの

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高校生の頃、眼鏡をかけたクラスメイトが羨ましかった。視力が低いというだけで前の席を選べるし、何より賢そうに見える。
ほとんど度の入っていない伊達眼鏡を作り、席替えの時に一番前へ移動してみたが、居眠りも内職もできない新発見を得たのみだった。

物書きになってからは順調に(?)視力が落ち、今では日々のシーンに合わせてコンタクトレンズと眼鏡とを使い分けている。

驚くのは朝起きて、鏡と向かい合った顔だ。
寝起きのまま裸眼で見る自分と、顔を洗いコンタクトを入れて見る自分とに差がありすぎ! シミ・ソバカスがこんなにあったっけ?

祖母が昔、映りの悪い鏡台を好んで使っていたのを思い出す。
それじゃ本当の顔が映らないでしょ?と指摘すると、「いいの、いいの、自惚れ鏡なんだから。綺麗に見えた方が嬉しいわ」とニコニコ笑っていた。

私の自己ルール、ポジティブ100%でいることは、自惚れ鏡を常用することに似ている。
本当は醜い自分、ダメを認めてしまいそうな自分を、鏡の外に追い出す思考だからだ。もしも他人の忠告や噂話、やっかみに振り回されて1%でも鏡に疑いを持った時、そこから足場はガタガタと崩れていく。

神田昌典氏の「あなたの悩みが世界を救う!」の第1章に、ポジチティブ思考について書かれていた。ポジティブになろうと努力するほど、仲間に裏切られたり不治の病になったり、不条理な出来事が起きるのはなぜか?
神田氏は、自分が試されている時代なのだと語っている。まるで荒野で修行して、悪魔の誘惑と戦ったキリストのようだ。

一部引用させて頂くと、
「ポジティブに思考したって、不条理な世の中が消えてなくなるわけではない。むしろ不条理だからこそ、できることがある。他人の定規で自分の『成功』や『幸福』を計る必要がなくなって、”あなた自身の定規を見せてみろ”と問われている」。

どんなに尊敬する師であっても、代わりに生きてはくれない。
どう生きていくかを決めるのは孤独な自分だし、覚悟を決めて前進しながら、自分に期待されていることを見つけなくちゃ。

96歳で亡くなるまで、皺ひとつなく美しかった祖母。
ろくに化粧もしない人だったけれど、彼女の自惚れ鏡は、自分の定規で見た美意識を映していた。
ひたすら信じれば真実になることを、教わらずして知っていたのだろう。

コメント

  1. こまちゃん より:

    そうですよねぇ。
    ポジティブを心掛けた瞬間に試されますね。w
    ゲーテのファウストみたい。
    悪魔が自分の後ろで囁きながら笑ってる。
    「柵の中をグルグル廻ってないで、
    ネガティブに他人の悪口言ってる方が面白いゾッ」って。w

  2. たそがれ より:

    そうゥ なかなか重い問題ですね。
    「あなたは、如何に行きますか?」

    組織の中で自己実現したい!
    でも、周囲は認めてくれない、煙たがっている・・・
    どうすべきか???

    「押してもダメなら、引いてみな」まぁ待つことでしょうね。

    でも一番大事な事は、
    「自分の目指すものが、少しでも人に役に立つのか?」と、私利私欲では無い事を確認することではないでしょうか?

    「捨てることができない」とは、
    「自分に満足していない」ということでは?
    特に創作者たる管理様は「自分に厳しい」、自分をまだまだ掘り尽くしてないと事ではないでしょうか。

  3. yuris22 より:

    こまちゃん

    確かに人の悪口は楽しい。
    そしてその仲間から外れると、今度は自分が悪口の対象にされる。
    ポジティブでいることは孤高と繋がるのでしょうかね。

  4. yuris22 より:

    たそがれ様

    他人のことは手に取るように見えても、いちばん見辛いのは自分本人だったりします。

    >「捨てることができない」とは、
    >「自分に満足していない」ということでは?

    確かにその通りですねぇ。満足していないからこそ、明日への原動力が沸いてくるとも言えますが。
    無理をせず自然体で、でも時々は全力ダッシュで走っていきたいと思っています。

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