親に取材するマスコミの心

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大阪・梅田で男性が車にはねられ約3km引きずられて死亡した事件。
「容疑者の父『心から謝ってほしい』」と書かれたネット記事を見つけ、思わずクリックした。毎日新聞の取材に対して、逮捕された容疑者の父が心境を吐露したという。

「熊本市に住む父は「どなたからも、なぜこんな事件を起こしたかと聞かれるが、自分たちにも分からない」と苦悩の胸の内を語った。『(息子には)自分のしたことを正直に話し、心から謝ってほしい』と話した。」
 (11月8日14時17分配信 毎日新聞記事より引用)

取材記事は他にもある。
「怖くて怖くて仕方なかったんだろう。気の細か男けん、逃げたと思う。」
 (『祖父が語る大阪ひき逃げ犯 「覚悟」がない男の無軌道人生とは』 11月8日12時15分配信 産経新聞より引用)

「親として一刻も早くおわびに行きたい。本人にも、ご遺族の気持ちが少しでも休まるよう生涯を通して誠心誠意おわびしてもらいたい」
 (『ひき逃げ吉田容疑者の父「生涯おわびを」』 11月6日21時52分配信 日刊スポーツより引用 )

凶悪犯が逮捕された後には、必ずのように発表される親族の取材記事。ああまたかと不快な気分になる。
「お子さんが起した事件をどう思われますか?」と親に詰め寄る記者。それをいち早く報道する新聞社やテレビ局。犯人を生み育てた親の責任を問うごとく、勝ち誇った顔で報道合戦をする。

周りから非難と好奇の目で見られ、犯人の親族は今の家には住めなくなるだろう。
引っ越した先も嗅ぎ付けられて、人目を避けた暮らしぶりがスクープされるだろう。
刑務所内の犯人よりも表で、針のむしろに乗った生涯を送っていくことになる。

倫理観を忘れたマスコミの心は餓鬼の心だ。売り上げるためにハイエナになる。
彼らは大切なことをわかっていない。読者や視聴者はその取材結果を心から望んでいるかどうかだ。興味本位は時として、後ろめたさ・遣り切れなさに変化する。

人の不幸は蜜の味ではなく、煮ても焼いても喰えない砂の味である。
幸せの味のするニュースを見たいものだ。

コメント

  1. 素浪人 より:

    結局「報道」と言って威張っているけど、自己反省がないからね。歴史的に見ても。

  2. 花鹿 より:

    はじめまして。時々お邪魔しています。
    マスコミの報道の仕方については私も品性がないと思うことがしばしばあります。
    どのチャンネルもどの新聞にしても見方が同じで結局販売部数、視聴率に左右されているすっぱ抜きに頼っているなと感じます。
    だからこそ受け取り側がそれに踊らされる事なく判断しないといけないなと思うのです。

  3. yuris22 より:

    素浪人様

    私を歓待して下さる逗子の有名食堂のマスター。飲んでリラックスすると本音を叫びます。
    「テレビが何だ!うちはどんなお偉い人だって並んで待ってもらうんだ。取材させてやるってデカイ態度で来るのが許せないっ!。」

    この店はどんな有名タレントであろうと横入りを許しません。自分がどれほど苦労して店を立ち上げたかを判りもしないからです。

    子供が犯罪者となってしまった親も同じこと。
    たとえ子育ての方法が間違っていたとしても、子育ての経験のない若造が揶揄すべきではないでしょう。失敗は自分がいちばん身にしみて判ることなのだから、周りが想像で責めるべきではないのです。

    報道とは放出するばかりの機関なのかとモラルを疑うこの頃です。

  4. yuris22 より:

    花鹿様

    いらっしゃいませ(^_^)

    マスコミが自分で自分の首を絞めているのは、スポンサー集めのためでしょう。
    広告代理店の指導のもと、読者数アップや視聴率稼ぎに振り回されて、鏡に映った自分しか見えなくなっています。
    私はその世界からドロップアウトしましたが、ストレスは見事に無くなりました。

    裏と表。いつかきっと騙しあいのない世界が来てほしいと思っています。

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