自分の口癖というものは、人から指摘されるか自ら意識しない事には気付かない。私が近ごろ反省しているのは「でも」という口癖だ。相手に対して悪気は持っていないのに、無意識に上位に立とうとしてるようで、大いに反省すべき接続詞である。
プレゼンテーション技術の専門家・箱田忠昭氏によると、コミュニケーションを円滑に運ぶためには、使ってはいけない「3D言葉」があるという。
・「でも」・・・すぐに反対すると最初のコミュニケーションが上手くいかない
・「どうせ」・・あきらめ・投げやりな言葉はムードを下げる
・「だって」・・「でも」と同様、すぐに反対表明する不快語である
「まず、人から何を言われても、たとえ相手の意見に反対であっても、表現は肯定的に、できたら『イエス』と言えるくらいの内容で答えてみましょう。つまり、あなたがそう思っていなくても、まちがった意見であろうと、頭ごなしに拒絶しないことです。」
(『いつも「うまくいく人」の反論の技術』 箱田忠昭著より引用)
大人の会話術として、「ああいえばこう言う」は付け焼刃的であり、「ノー」という3D言葉は追放べきだと言うのだ。では曲がりなりにも反論したいとき、否定語の代わりにどんな肯定語を使えば良いのか、3つほど例を挙げてみよう。
先方「おたくの商品、使い辛いんじゃない?」
当方「そうですね。A社でも最初は同じように言われましたが、今はご満足頂いております。」
(「そんなことありません」と否定せずに、「ほう、どうしてだろう」と興味を誘う)
先方「月曜日の朝、納品して下さい。」
当方「火曜日の朝でしたら、間違いなく可能です」
(「無理です」と否定せずに、両者の歩み寄りを求める)
先方「この企画はウチ向きじゃないよ。」
当方「なるほど、そういう考え方もあるのですね。ではどう修正しましょうか?」
(「ダメですか?」と否定せずに、逆に相手からアイデアを引き出す)
引き寄せの法則において、言霊の影響は重大だ。人間は感情の生き物なのだから、お互いハッピーな気持ちになる会話から成功が導かれる。
ポジティブな生き方には、ポジティブな言葉使い。「でも」を言わない自分をトレーニングするのが今年の課題である。
コメント
久しぶりにお邪魔させていただいて、コメントさせていただいています。言葉をお仕事にされていらっしゃるゆり子さんがこういう風にメッセージされることでさらに気持ちに深く染み入ります。お忙しいでしょうがご自愛くださいませ。
あ、新しいブログを書いています。
よろしければのぞいてください。
http://ameblo.jp/educa-meaw/
僕は「なるほど」派です。
「イエス」は勘違いされるとややこしいなとか
いろいろ考えてしまいますが、
「なるほどー!」なら、共感を表現できて、
それでいてイエスにはならないから。
でも、「でも」って思わず出る時ありますよね。
ヨーコ様
いらっしゃいませ。
今日は中学3年生相手に講演をしてきたのですが、ティーンエイジの彼らに私の大人言葉が通じるかどうか、冷や冷やしました。文章だと小手先がきいても、喋るとなると勝手が違うものです。うんうんと頷いてくれる顔が嬉しかった!
ブログ、さっそく拝見しました。
楽しそうにお仕事していらっしゃいますね(^_^) 応援させて頂きます。
たけぞう様
「仰るとおり仰るとおり」が口癖の方もいらっしゃいますが、連発されると「こそばゆく」なってきます。
その点「なるほどー!」はYESでもNOでもなく、使いやすいですね。うなずきながら言えば相手の懐に入れそう。その間に如何に次の言葉を用意するかがミソですね。
わかっていても、なかなか難しいですよね。
「でも」「どうせ」「だって」
「どうせ」という言葉は使わないように気をつけているつもりですが、「でも」は気兼ねなく使ってしまいがちですよね。
よく、私は親戚の方に誤解され責められると、「でも」と使ってしまいます。
自分が悪くないのに責められると反論したくなるじゃないですか?
黙ってばかりでは損をする。けれども、反論したらしたで、口答えをするなと言わんばかりに文句を言われる。
やっぱり、難しいですね。
marie様
親戚たちは近しい立場にいる分、歯に衣着せないというかズカズカと入り込んできますよね。自分を心配してくれていると取るか、非難していると取るか、やっぱり近しい分だけ感情を抑えるのが難しい・・。
私の場合はずっと「遠い親戚より近くの他人」です。