大阪府の橋下知事がまた怒っている。公金に対する意識を改めるよう全職員に送ったメールに対し、女性職員から「愚痴はブログ等で行って下さい。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください」との返信。上司に対する物言いが不適切であり服務規律に違反するとして、職員と所属長に厳重注意処分を言い渡した。
これを受けて府民課には「知事は大人げない」「職員が非常識だ」と賛否両論の声が寄せられているそうだが、橋下知事の対応に批判的なものが過半数を占めたという。確かに上司を馬鹿にした態度。しかし職員が深く反省しているのなら、メールでのやりとりを公開して日本中の晒し者にする見せしめが必要なのだろうか。怒りをコピーしてばら撒き、ますます血圧を上げているように見える。
怒りの持って行き場を探す鍵。私の手元に、文部省から大正2年に発行された「高等小学修身書」なる児童用の教科書がある。忠君愛国、家、孝行、至誠、勤勉、質素、礼儀などに混じり、「寛容」の項目が目に留まった。
「人は己を持すること厳にして人を待つこと寛なるべし。他人の自己に対する言行、意に満たざることありとてみだりに怒るべからず。一朝の怒に乗じて人と争ふときは後に悔ゆること多し。古人の語に『堪忍は無事長久の基、怒は敵と思へ』とあるは誠に故あるなり。」
「人はいづれも多少の欠点なきこと能はず。其の欠点を見て人を棄つれば到底交じるに人なきに至らん。連抱の大木に数尺の朽ちたる所ありとて良工はこれを棄てず。」
人はみな経歴が異なるのだから、思想や行動が自分と一致しなくてもやむを得ない。それを事毎に衝突すれば、孤立せざるを得なくなる。人を受け入れる時は無益の争いを除けて、世の平和を保つことを心がけなさい。それが社会の幸福への道である・・とも書かれている。なんだか上司に対する教えのようにも取れる。
「寛容」とは、上から目線で許すことではない。相手の人生観・価値観が自分と同じではないのを知ることだと思う。「反省しています」と言わせ、一般常識のルールに従わせても、価値観が違えば憎悪の感情は消えないだろう。それを怒って追い詰めるのでなく、相手の立場に沿って話し合いながら、心が一歩でも近づくことが得策ではないだろうか。
「しょうがない上司だなあ。でも憎めないんだよね」と部下から愛されることも、大事な「寛容」である。
コメント
私も府知事の発言をテレビで見ていて、なんだぁ器の小さい男だなーと思ったのですが、会社員の友人にその話をすると、「会社でね、トップにそんな発言したら一発でクビだよ。公務員だから辞めさせられないと思って、言いたい放題なんだよ」とのこと。そうなんだ・・・(~_~メ)
しかし、中国人が愛してやまない「論語」の有名な出だしには、人と意見が違っても怒るでない、とあるし、世界のベストセラーであるバイブルにも「怒ることに遅い者は識別力に富み、短気な者は愚かさを高めている」「人を許すのはその人の美しさである」とある。
怒りたい事が多々ある世の中ではあるけれど、ゆり子さんが仰るように、自分自身のためにも寛容さを目指して、せめて心の中だけでも美しくありたいと思う今日この頃です。
菜多里様
府知事が口に出す「これが会社だったら・・」の場合、社員の恥は外部に漏らさないのが鉄則だと思うのです。悪評判が立てば売上げが下がります。でも府知事も含め、税金で食っていける人たちには大阪府がつぶれるわけでなし、まるで学級委員会のバトルのようです。
更に良くないことは、府知事がこれ見よがしにマスコミに公表して賛同を集めようとする姿勢。部下たちは表面では従ったとしても、心の距離はますます遠くなることでしょう。
「大人になれ」って言葉は好きではないのですが、彼らは青春しすぎてますよね。