自分の未来を体験した夜

スポンサーリンク

一度も体験したことがないのに、過去のどこかで体験したように感じることをデジャヴ(既視感)というけれど、未来を体験したように感じることは何と呼ぶのだろう。未来予知では大袈裟すぎるし、予感では物足りない。

昨夜は表参道で仕事が終わった後、一息つくためにコーヒーを飲んでいた。すると突然イメージしたのは、来年の今頃、同じ店で同じことをしている自分。今年も無事に過ぎていくなあと、イルミネーションが灯ったケヤキ並木を歩く人々を眺めているのだ。この感覚は前にも体験したはずと思い出せば、11月13日の日記『明日で地球は終わらない』に書いた出来事。転記すると「確か9月の下旬だったと思う。車で目黒通りを大鳥神社方面に走っている時、酉の市に集まる人々や縁日の屋台が映像として脳裏に見え、渋滞に巻き込まれている私がタイムスリップしていた。」
これが見えたことで、10月末までに首都圏に起きると噂されている大地震が来ないことを悟った。実際にニの酉も無事に終わり、平和な師走に入った。

何だか最近こうした不思議が多いが、まぐれだろうと信じパーキングに戻った。
エンジンをかけて渋谷方向に走り出すと、またもやイメージが浮かぶ。逗子へ向かう朝比奈峠で、カーステレオから小田和正の『言葉にできない』が流れている。約1時間後に本当にそんなことが起きるのだろうか。

結果は大当り。横浜横須賀道路を下りて朝比奈の信号を左折し、二番目のカーブに差し掛かると、「終わることのない愛が途絶えた 命尽きていくように・・」の歌声。ほうら当たったでしょと挑戦的までにタイミングがピッタリだった。

いったい何処から届くイメージなのか、どうしちゃったんだろう私?と首を傾げながら、昨夜は眠りについた。

今は東京へ向かう横須賀線の車中。窓際の席は日だまりだ。もし未来が見えるなら・・。愛する人達がハッピーエンドになる映像を見せてくださいねと、今日はひときわ微笑んで見える大船観音に手を合わせた。

コメント

  1. marie より:

    自分の未来は体験してませんが、予知はたまにありますね。
    いい予感も悪い予感も結構当たります。
    友人の生活の変化にも気付きます。

  2. yuris22 より:

    marie様

    他人に関して予知することで辛いのは、その人に不幸の影が見えた時です。不快にさせたくないので黙っていますが、嫌われても告げておけば良かったと思うことが多々あります。
    それにしても転げ落ちる前に、向こうから私へのコンタクトを切ってくるのは何故なのかな。踏み込んではいけないネガティブな場所とは知りつつ、蜘蛛の糸さえ垂らせない未熟さをはがゆく思ってます。

// この部分にあったコメント表示部分を削除しました
タイトルとURLをコピーしました